会話力。
子供を持って思うこと。親も人間だったんだなぁ・・そんなことをしみじみ感じる。疲れている日もあるし悩み事で頭が痛い!お腹がすいた!!そんな些細なことに親の心は上がったり下がったり動くのだ。子供みたいに。そんな弱さを持った私たちのところに人間が生まれてその子を育てなさいと責任を持たされたとき戸惑わない人はいない。だから育児書を買うしお稽古事にも熱がはいる。わたしもどう子育てをしていこうかどんな方針が一番いいのかずっと考えているけど、自信がもてない。世の中には素直で優しくて成績もよくて礼儀正しくて・・理想的な子供を持っている親がいる。そんな親を羨ましく思い自分の子もそうなることを願うそれがヒトの心理というものだけどそれこそが人間の愚かさであり、弱さの現われかもしれない。そもそも、子供は親の所有物ではないのだからいいでしょ~と見せびらかすケリーバッグにはなれないししてはいけないのだ。こうなれば育児は自分のエゴとの戦いだ。呼び名は違えど子供も人間見下せば自分を見下すことになるし理想像を押し付ければ神様でもないのに支配していることになる。どんな大人になるのかどんなことを経験するのか分からないけれど、親だからって身代わりになることも時間を戻すことも出来ないのだ。(なんて無力なんだろう!!)傷ついた我が子にできることといえば話を聞くことくらいだろう。 わたしたち人間には会話力が必要なのだ。そのスキルを発揮できるよう手助けするのが親の役目なのかもしれない。子供が何かに困っているときそれを説明できなかったらどんなに苦しいだろう。自分の感じたこと、思ったことを言葉にして相手に伝える相手の話に感情移入をして心で聞くことそれさえ出来たらきっとその子は生きていける。この大変な世の中を寿命まで戦っていける。どうすればいいだろう?本を読むことで語彙が増えるかもしれない。話せなければ手話を学ぼう。絵を描くこと歌を歌うことなんでもいい心を表現できる手段を一緒に見つけてあげたい。そう同士としては思うのです。