昔から大好きな一曲。
岩崎宏美さんの『すみれ色の涙』
歌詞の解釈は人それぞれ
つつましやか、誠実な心を花言葉に持つ「すみれ」は「純愛」の象徴です。
「すみれ色の涙」は想う相手に対する献身的な心情を表していますね。
お互いに愛し合う二人なのに、
どこかに隙間が見え隠れ…
届きそうで届かない想い、そして別れを思うこころ。
そんな時に、思わずあふれる涙…
純粋で繊細。
とても好きなのだけれど、相手を思い別れを決意した…とても切ない思い。
そんな時流す涙の色
大好きだけど訳あって別れなくてはならない・・・。
そんな一生に一度あるかないかの時に流す涙だと思います。
いずれも表面的な別れの涙という感想ですね。
ま、それでよいのでしょうけど。
私もそんな風に思っていました。
が、なずなのはなさんという方の解釈が素敵だなと思い、少し長いのですが引用させていただきます。
♪すみれって すみれって
ブルーな恋人どうしが
キスして キスして
生まれた花だと思うの
淋しかったから あなたを愛して
淋しかったから あなたを憎んだ
淋しかったから あなたにさよならを
そしてひとつぶ すみれ色の涙
(万里村ゆき子 作詞)
(中略)
淋しから人を求めてしまう。
それは、報われないと憎しみに変わってしまいかねない愛し方です。
これが苦しみの始まりなんですね。
自分の中の空ろな部分を、他人(ひと)に埋めてもらおうとするところに最初から間違いがあるんでしょう。
私自身、こういう 「悲の連鎖」 の囚われになってしまって自分や人を傷つけてしまうことがあります。
この 「淋しかったから 愛し、憎んだ」 というリフレインを聞くうちに様々なことを考えました。
人は孤独を恐れ、孤独を嫌いがちです。
でもどこか孤独のなかに或る種の居心地の良さも感じます。
この居心地のいい部分で、人は孤独な時間を持つべきなのです。
その孤独な時間は、私たちが自分自身と向き合う時間であり、その蓄積は自己の内面を充実したものにしてくれる 「力」 をもたらしてくれます。
独りの時間を存分に楽しめる人こそ、他者と過ごす時間をより豊かなものにしていける人なのです。
「自分を楽しませることの出来る者こそが、他者を喜ばせることが出来るのだ」と、こんな風に言い切っても良いとさえ思われます。
自分を自分で楽しませることが出来ないから、人に、それを求めてしまう。
それは依存になってしまいがちです。
依存された側にとっては重荷になりかねません。
自分を上手に愛することの出来る者同士が寄り添い合えば、豊かな時間が訪れるし、自分を愛せない者が人を愛したところで、そこにあるのは疑心や嫉妬が生まれがちな無明の世界であるように思われます。
こう言ってしまうと、私には、それが行えてるのかと思われるでしょうが違います。
そうできたらどんなに素晴らしい世界が拓けるのだろうと憧れつつも、無明の世界で、あがいたり、もがいてしまっているのが現状です。
引用:
なずなのはなさん
こういう深い考察ができる人ってすごいなぁ、って尊敬します。
そして、人は皆、無名の世界であがいたり、もがいたりするものなのでしょう。