21年前、
12歳の少年を病気で亡くした母親は、
お通夜の間も、告別式の間も、
号泣し続けました。
出棺の時には、
まるで獣のような声を張り上げて泣き続け、
火葬場には、行きませんでした。
母親とも少年とも親しくしていたので、
私も、
数日、涙が止まりませんでした。
10年ほど前、
育児休業中の10歳ほど年下の女性から、
突然の電話。
まだ1歳にならない子供さんの保育園選びの相談。
日頃はあいさつ程度の付き合いだったけど、
分かる範囲であれこれ調べて、
数回電話でのやり取り。
どうやら彼女は病気らしい。
それも、かなり重たい・・・
「この後は、多分電話できなくなると思います。
子供のことが気がかりでしたが、
これで安心できました。
私の病気のこと、聞かないでいて下さって、
ありがとうございました。」
と言って、電話を切ったそのすぐ後で、
ICUに入り、そのまま帰らぬ人となりました。
いつも人のことを思いやれるやさしい女性でした。
8月の日差しが照りつける中、
彼女を偲ぶお別れの会には、
大勢の方が集まりました。
それ以来数か月、
私は、体の具合が思わしくありませんでした。
3年前のこと、
仕事の関係で知り合った16歳の少女。
生まれた時から入退院を繰り返していました。
彼女に頼まれ、メールをする仲になりました。
痛くて、辛くて、悲しくて、
堪らなかったと思うのですが、
滅多なことでは、弱音を吐きませんでした。
メールの内容も、
よくなったらあれがしたい、これがしたい。
こんな所に行ってみたいな。
って、希望に満ちた前向きなことが多かったです。
彼女の体調の悪さを知っているだけに、
その我慢強さに、
そのたくましい心に、
こちらが励まされていたように思いました。
知り合ってから、3度目の入院中。
さすがに、
「今日は、ちょっと痛いな」
といった、メールが来るようになり、
「痛いよ~ぉ。
今からICUに入ります」
というメールを残して、
16歳の少女も逝ってしまいました。
少女とは、
まだ話し終えていない話とか、
一緒に行こうと言って、果たせなかった場所とか、
いろいろあったので、
今でも悔いが残っています。
そして、今日、
友人のお嬢さんの「お別れの会」に出席しました。
昨年の8月に突然倒れた、お嬢さん。
その日から友人の懸命の看護が始まりました。
少しでも良くなるのならと、
ありとあらゆる最善の方法を模索し、
お体の不自由な御主人を庇いながら、
お嬢さんの看護を続ける友人。
そんな献身的な看護を受けながら、
2度にわたる手術を経て、
お嬢さんは、生きる希望を持ち続けました。
御家族に心配をかけないように、
いつも笑顔を絶やさなかったとか・・・
御家族もまた、最後まで希望を失わず、
今出来ることを精一杯なさいました。
残念ながら、病気の進行が
思ったより早く、
御家族に見守られて、息を引き取られました。
お嬢さんは、とても優秀な方で、
とても行動的で、
国際交流も果たし、
世界と日本の文化交流に寄与されていました。
小さい頃から所属されている合唱団では、
ミュージカルの主役で、
宇宙へ飛び立っていく役を演じていました。
まさに、お嬢さんは、
世界を超えて、宇宙へ、
飛び立っていかれたかのようでした。
本日「お別れの会」には、
お嬢さんに所縁の方数百名。
誰からも愛されて、
優しくて、ひたむきで、
愛嬌があって、
思慮深くて・・・
みんなが大好きだったお嬢さん。
厳しい闘病生活の合間に、
パソコンで編集された、
ご自分の思い出のアルバムが
スクリーンに映し出されました。
世界各地で、たくさんの方々とハグしながらの、
満面笑顔の写真集。
最後の最後まで、
自分らしく生き抜かれたのだろうと思います。
数百人の参列者のすすり泣きが、
次第に大きくなっていき、
会場は、大きな悲しみに包まれました。
なぜ、22歳の若さで・・・
と、悔みたくなりました。
最後に友人が、
「この子の22年の人生が
短かったか長かったかを問うてみても
仕方がないと思います。
今日、
この子が生きた22年は、
幸せな22年だったと、
みなさんとの繋がりで、
感じることができました。
これで良しとしたいと思います。」
と、気丈に挨拶しました。
お嬢さんは、数百人の参列者による、
「翼をください」の大合唱に送られ、
大空へ羽ばたいてゆきました。
短い生涯であったかもしれませんが、
人々の心にたくさんの思いを残し、
徳を残して、飛び立ってゆきました。
人の死に向き合うこと。
とても、辛くて悲しい業。
特に若い人の場合は尚更、
喪失感だけが心の闇を支配する。
悲しくて悲しくて、やりきれない。
若くして、
自分の命の短さに気づいた時、
人はこんなにやさしく、
他人のことまで気遣うことができるのだろうか?
残された私たちは、
どう生きたらいいんだろう。
一人ひとりに与えられた時間と
一人ひとりに与えられたステージは、
・・・違う・・・と、思う。
自分に与えられた時間とステージを
精一杯生きるということか・・・
答えはでませんが・・・
精一杯生きようと思いました。
悔いが残らないように、
今日一日、
頑張ってみようかと思いました。
スミマセン。
支離滅裂になってしまって・・・
ここまで、読んで頂いて、
ありがとうございました。
またいつか、このようなお話を語る日が
あるかもしれません。
ありがとうございました。
けい 2009.1.18