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カテゴリ:ホラー映画、好きです。
暇なので、2つ目。
またもや訂正というか補強から。 eichiさんから貴重な意見をいただきまして、もう『こっくりさん 日本版』は侵略SFだと言い切ってしまおうと。 「人差し指」にまつわる怪談がない以上、他の明解な説明がない限り、これは正しいと言わざるを得ないでしょう。 なので、2日前の記事の当該箇所、「こっくりさんX2 ここは太陽系第3惑星地球・・・」とやっているのは、実際に行なわれているのを『こっくりさん 日本版』が元ネタに使用したというだけですね。 明確に侵略SFとして加筆したい所もありますが、以前の記事は修正せずに残しておきます。 『こっくりさん 日本版』の評価が格段に上がった後で何なのだが、タイトルにもあるように今回は酷評です。 黒縁の大きな分厚いメガネをかけ、白髪の髪を後で束ねた長身の男に、緊張の面持ちで対面する若者2人。 なぜなら大柄な体躯の男は彼等にとって神様だからだ。 これは『ランド・オブ・ザ・デッド』の特典に収録された映像である。 もちろん、長身の男は、ジョージ・A・ロメロであり、若者2人は『ショーン・オブ・ザ・デッド』のサイモン・ペッグとエドガー・ライトである。 『ショーン・オブ・ザ・デッド』はゾンビへのオマージュとイギリス人気質への皮肉を込めたゾンビ・コメディの傑作。 当人たちが、ゾンビへの敬意を持ち、ブラックユーモアを含めながら、ゾンビ映画を作る楽しさに溢れた作品なのだから、コチラとしても楽しくないわけがない。ケイト・アシュフィールドがいいとか、個人的な趣向を含めて、『ショーン・オブ・ザ・デッド』の話は長くなるのでさておき、これにパッケージがソックリな和製ゾンビ映画がある。 『東京オブ・ザ・デッド-3日』である。 両親の旅行中、ご近所さんが突如としてゾンビとなって襲い掛かってきて、家に籠城しながらの死闘が始まる。 ストーリーに目新しさは、ない。だが、ゾンビ映画を見慣れた人間からすれば、こんなのはなんて事ない。 最近観た『ミート・オブ・ザ・デッド』も、狂牛病でゾンビ化、立ちながらフラフラと爆睡中のゾンビ(笑)を除けば、展開としては普通だ。オチ、ゴア描写どれをとってもコチラが数倍上だけれど。 制作費の安さも、田園を逃げ回る事で、全体のスケール感を落とさずに凌いでいる。 安さの面で言えば、『ザ・デイ・シャッフル!! 死霊の群れ』の方が恐らく安い(群れといってもコンビニ前にたまるヤンキー程度の数)。 つかもと友希が動物病院の息子のセックスのヘタさをなじったところ、「OLと混浴」のチラシに惹かれた息子はやってきたホテトルの真心サービスに感激し、冷たくする彼女(友希)をホテルに呼びつけて説教するも、逆に怒られ(当たり前)、慰謝料を請求してきたことに逆ギレして、狂犬病の犬の血を飲ませるとゾンビ化するという説明してて、頭が悪くなるのがハッキリと分かる狂気の映画。 息子の「狂犬病になっちゃた」というセリフに悪寒が走る。 つかもと友希が往年の牧本千幸(宇宙少女。懐かしい?)の名義でエンディング曲を担当していたり、ホテトル役の南あやが登場後、即、素っ裸になり、最後まで裸だとか、ラスト15分までゾンビが登場せず、変わりにひたすらヤリまくってるとか、いい意味で企画の意図は明確。 緊迫感ゼロのゾンビとの死闘は、素人じみた構図も含めて、和製ゾンビ映画、随一のサイテーさ。必見。 発売当初にVHSで観たのだが、監督とつかもとのコメンタリーが面白いというので、最近観直した。確かに、本編より面白いや。 昔観たときは、半分意識を失いながら観たせいか気付かなかったけれど、効果音がスゴイ。ゾンビが噛み付くと「ガブガブ」って(笑)。 さて、話が長くなったが、この程度のデキの悪さはむしろ愛すべき要素であり、『東京オブ・ザ・デッド』も演技がヘタなど基本中の基本で、『ザ・デイ・シャッフル』の息子役に比べれば、全然上等である。 だから本来なら、観るべき所が何一つない、記憶に残らぬツマラナイ映画で終わるハズだった。 が、この特典が余分だった。なんだこの監督は。 この山本政志の言によれば、「笑い」の要素もあるホラーにしたかったようだ。まぁ、くすりともしないユーモアはセンスがないだけで、個人的資質であって仕方がない。 近所の人が襲ってきたり、路地が怖いよねというのをさも斬新かのように言うのも、無知なだけでカワイイもんだ。 ホラーには興味がなく、リアリティのある恐怖に興味があるというのも、緊張感のない画面作り、迫力の欠如などなどと現実との相違はあるもののギリギリ許容の範囲内だ。 しかし、昨今のホラーブーム、特にゾンビブームに合わせてチョイチョイと作ってやろうという心持で撮り、箸にも棒にもかからないこれだけの駄作を撮っておきながらのこの不遜なまでの巨匠ヅラ。 この程度の内容でホラー好きは納得すると思ったか。物語もなく、見せ場もないスカスカの作品で喜ぶと思ったか。 結局のところ、「Jホラー」を否定して出てきたものは、何もなかった。 怪奇譚には歴史がある。それは時代の中で醸成されてきた雰囲気だったり、驚かそうとする技術だったり様々である。 それを否定して、出来上がるものなど高が知れている。 制作から予測すると、恐らくおだてられ乗せられて作ったのだろう。 バカな監督のインタビューなどDVDへの収録段階でカットしておくべきだった。喋りたいだけ喋らせておけば、どうせ満足するのだから。 『ショーン・オブ・ザ・デッド』のパッケージをパクったのも顰蹙を買うだけだ(これは「売らんかな」で仕方ない所もあるが)。 制作サイドの責任は大きい。だが、それでも敢て言う。 己の作り上げた作品に、厚顔無恥な肥大化した自意識に対する責任ぐらいは引き受けろと。 追記: ただし、このインタビューも、狙ってやったものかもしれん。 この監督にはもう1つのホラー編『CYCLE-サイクル-』があるので、事の正否はそれからだ。少なくとも、今言っておくべきことは書いた。 怪奇モノは安いし、物語に深みも求められない。ただ、心意気があればいい。物を創るという意志すらもない、無味無臭な物語など一体誰が観るというのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月13日 00時18分53秒
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