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最初に上巻を買ってから、中・下巻を読み終えるまでに丸一年かかってしまいました。 「ファウスト」も「若きウェルテルの悩み」もちゃんと読んだことのない私ですが、「戦争と読書」で南方戦線に赴くことになった水木しげるさんが聖書や哲学書を読み漁った末、結局持参したのは「ゲーテとの対話」上中下だったというのが印象的だったので自分でも試しに上巻を読んでみました。
結果、すっかりこの本が好きになり、中巻、下巻と全部読みきりました。 この本は晩年のゲーテの発言、振る舞いが彼を尊敬するエッカーマンによって綴られています。 上巻はエッカーマンの生い立ちから始まり、彼がゲーテに会い、その側で暮らすことになるまでの経緯。 中巻は1828年から始まり、ゲーテが亡くなる1832年までが描かれています。 下巻はゲーテ死後、日々の生活に追われるエッカーマンが部屋で独り、ゲーテとの思い出を脳裏に思い浮かべ、再び1822年~1832年の記録を追記していく……という流れです。 生きた人間の記録ながら、読んでいると豊かな気持ちになれる不思議な本。 仕事で疲れた時や友達と会う前にふらっと読み返すと、少し気が安らげるのです。 それはゲーテの人どなりの良さと同時に、彼に対するエッカーマンの尊敬の深さと編集の手腕も大きく寄与していると思います とても沢山の薀蓄が詰まっている本ですが、その中の一部だけ抜粋しておきます。 (上) 「その日その日に詩人の内部の思想や感情につきあげてくるものは、みな表現されることを求めているし、表現されるべきものだ。 しかし、もっと大きな作品のことが頭にあると、それと並んでは他のなにも浮かんでこなくなり、全ての思想は退けられ、生活そのもののゆとりまでその間はなくなってしまう。 ただ一つの大きな全体をまとめあげ、完成するのに、なんとまあ大変な努力と精神力の消耗が必要なのだろう」 (中略) 「さしあたってはいつももっぱら小さな対象ばかりを相手にし、その日その日に提供されるものを即座にてきぱきとこなしていけば、君は当然いつでも良い仕事を果たして、毎日が君に喜びを与えてくれることになるだろうよ」 (中) 「私の作品は世にもてはやされるようなことはなかろう。 そんなことを考えてみたり、そのために憂身をやつしたりする人間は間違っているよ。 私の作品は大衆の為に書いたものではなく、同じようなものを好んだり求めたり、同じような傾向をとろうとしているほんの一握りの人達のためものなのだ」 (下) 「誰しも自分自身の足元から始め、自分の幸福をまず築かねばならないと思う。 そうすれば、結局まちがいなく全体の幸福も生まれてくるだろう」 (中略) 「もし、めいめいが個人としてその義務を果たし、めいめいがその身近な職業の範囲内で有能かつ有為敏腕であるなら、全体の福祉も向上するだろう。 私は作家という天職に付いているが、大衆が何を求めているかとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。 それどころか私がひたすら目指してきたのは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格内容を高める、さらに自分が善だ、真実だと認めたものを表現することであった」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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