カテゴリ:ゲーム関係
様々なソシャゲが、ユーザーにジャブジャブ課金をして貰うべく、生まれては消え、生まれては消えを繰り返す今日この頃。 世は正に、ソシャゲ戦国時代……というのは、もはや昔。 ユーザーのソシャゲ疲れ&評価経済社会の浸透で、すっかりソシャゲも変わったなぁ、としみじみ。 もはや、半端なソシャゲでは誰もロクに金を落とさず人も集まらず。 寧ろ、損切りを意識した相次ぐ早期撤退(サービス終了)で、大手ゲームメーカーが信用を失いまくってる印象。スクエニとか、セガとか。 そう。ユーザーは疲れているのです。いつまで経っても終わりがなく、そして、周回&課金をひたすら要求されるソシャゲに。 youtube の公式発表で「××シリーズの最新作がスマホで登場!」と銘打たれる度に、失望感を感じるのは私だけですかね。本当 ……ところが、その一方で、私達はソシャゲをやってしまうのです。何故か、相変わらず、何時まで経っても。 理由は単純です。私達は常に「刺激」を求めているからです。そして、一番、手軽に「刺激」を得られるツールがスマホであり、そのアプリです。 分かりやすく言えば、ツイッター&youtube&ソシャゲの3つです。 この3つはスマホという同一ツール上で密接に連動し、シングルアクション(画面タッチor音声認識)で即時の情報収集&刺激接種が可能という、攻殻機動隊の電脳社会もどきみたいになって来てると思ってます。個人的な見解ですが。 つまり、ソシャゲというのはコンシューマゲームとは本質的に違うものだという話です。コンシューマゲームは「プレイヤーが、一つのパッケージゲームをスタートしてクリアする」ものでしたが、ソシャゲは「多数のプレイヤーが、あるゲームを日常生活の一環として取り入れる」ものだと。 ……そんなもん、MMORPGの頃から当たり前だろ、何言ってんだ!って話ですが、実は私、それをわかってなかったんですよね。だって、90年代のゲーム世代なんだもん。だから、ソシャゲとコンシューマゲームをプラットフォームの違いぐらいにしか考えてなかったと思う。 要は「用意された仮想世界(物語)の始まりから終わり」を楽しむのがコンシューマゲームだとしたら、ソシャゲっていうのは「明日にも終焉するかもしれない仮想世界を体験する」ものだったんじゃないかと。 で、当たり前ですが、一人の人間は二つの世界を同時に体験(操作)できないわけで。 そうなると、世界の数、つまり、ソシャゲの数が増えれば増える程、各世界のユーザー数は減っていくわけですね。 そして、ユーザー側はユーザー側で、どの世界に浸るかを取捨選択することになる訳です。 もうお分かりですね。 ユーザーが選ぶのは、「ユーザーが味わいたい刺激を与えてくれる世界」の方です。 そして、同種の性質を持つ「刺激」は、より強く、より心地よく、より簡単に摂取可能な「刺激」によって淘汰されます。 チープなゲームは、もはや舞台に登る余地すらありません。IPの強さでファンを釣る事ぐらいはできるかもしれませんが、すぐに飽きられます。何故なら、ゲーム画面から得られる「刺激」の弱さが足を引っ張るからです。 ユーザーだって馬鹿じゃありません。毎日味わいたい「刺激」を選択するぐらいの頭はあります。というより、直観的により自分好みの「刺激」の方に釣られる、というか。 キャラが良いとか、声優が良いとか、原作が人気とか、広告が派手とか、そういうのでは所詮、一時凌ぎです。ゲームそのもので与えられる「刺激」が弱ければ、すぐに捨てられます。 じゃあ、「FGO」は何だよって言われるかもですが、「FGO」は俗に言う「天地人」が良かったと思ってます。 天:2015年という早期開始 地:7章までやるという安心感&世界観を壊さない戦闘画面 人:TYPE-MOON(というか、奈須さんの文章)への信頼 例えば、「FGO」の開発が遅れに遅れて、2017年以降に今のシステムで実装されてたら、今ほど人気でたかは謎ですね。 あと、7章まではやるって初めから言われてたし、少なくともそこまで観ないとシナリオ評価できないよね、と思ってました。正直、4章終盤にソロモンが出て来るまでメインストーリーそんなに盛り上がってないですし。個人的には、本格的にストーリーが面白くなったのは6章以降という印象。 もう一つ、戦闘画面やシステム自体は古臭いですけど、バトルモーションやグラフィック班の人達が改良に改良を重ね、メインストーリーの派手さに負けないぐらい演出面に力を砕いているのは「FGO」が長く息している理由の一つかな、と思ってます。 やっぱり Fate って「英霊」の格好良さ、派手さが売りな訳で。これで、ソシャゲだからとSDキャラだったり、初期の安っぽい演出のままだったら、多分、ストーリーの盛り上がりとのギャップが酷くなって、ユーザー離れは加速してたと思いますね、本当。 一方で、性質の違う「刺激」であれば、競合せず、両立することは可能です。甘いもの同士では飽きは来ますが、辛いものなら食べられます。 例えば、「遊戯王デュエルリンクス」を今でも続けてますが、これは「手軽に遊戯王キャラで、遊戯王OCGを楽しめる」というのが強みですね。 加えて、既存作品の放送終了後の補完的な意味もあり、遊戯王のOCGファンというより、アニメファンが楽しめる作風になってるなと思います。遊戯王OCGを純粋に楽しみたい人は、「マスターデュエル」の方が相性は良いでしょうね。私は、遊戯王のキャラ成分の方が重視したいので、そちらからは撤退しましたが。 他には「ブルアカ」なんかも。 ブルアカの強みは、お手軽に「癒し」を摂取できる点だと思いますね。メニュー画面、ログイン画面、戦闘画面、ショートアニメと、あらゆるコンテンツが本当、可愛い。 正直、SDキャラがちょこまか走り回る戦闘画面にあまり魅力は感じませんが、そもそも世界観やキャラクターがそういう感じなので、戦闘画面と雰囲気が離れてないのが良いですよね。 基本、アロナちゃんの元気な挨拶を聞きながら、ポチポチ、画面タッチして生徒達を愛でてるだけですが、キャラを愛でるのは好きだけどゲーム性が合わなくて「艦これ」辞めた人とかは相性良さげかも。私とか。 その癖、締めるところはきっちり締めてきますし。シロコテラー実装待ってます(== そして「NIKKE」。 運営部分で色々気になる点はありますが、あの戦闘画面だけでお釣りが来ますね。シリアスな世界観&ストーリーとも違和感なくて。 そして、人によっては下品とも取られそうな露骨な腿&尻&胸。アリエナイのは、君らの服装と体つきの方ですよ、ヘルムさん! でも、そういう姿勢は評価しますよ、私。綺麗事を並べて「刺激」を抑えるのが立派だと思い込んでる作品よりは、よっぽど。 勿論、この辺は好みの差ですし。結局、人によってそれぞれだと思いますが。 ただ、それは、それぞれが好む「刺激」に差があるだけなんじゃないかと。 最近よく思うのが、ストーリーとキャラは良いけど、ゲーム性が足を引っ張ってるゲームというのは、もうその時点でアウトかな、と。「ソシャゲだから、こういうシステムでいいだろう」みたいにしちゃうと、その時点で自分の首を絞めてる感じがしますね。正直、ブラサジとかも戦闘画面は微妙でしたし。 以上、「艦これ」以来丁度10年ソシャゲに触れ続けきた個人の妄言でした。 まぁ、そんな訳で、私が言いたいのは……ユーザーに甘えるなって事ですね。そして、自分達がユーザーとして毎日味わいたい「刺激」を提供できるコンテンツかを見直して欲しい。それだけです、はい。 ※3月28日追記 ふと思ったんだけど、ソシャゲを作ってる人達は、自分達が依存物質を作ってる、という自覚をちゃんと持ってるんだろうか。 自覚を持ってて作ってるなら、まだいいんだけど、その自覚を持ってなくて、「自分達は、凄いゲームを作ろうとしている!感動させようとしている!喜んでもらおうとしている!」と思って、空回りしてるんじゃないかと思ったりも。あるいは、「注文通りのゲームを、きちんと作ってる」とか。 実のところ、ソシャゲは、酒や煙草(下手をするとシャブ)と本質的な部分では同種だと思う。これは別に蔑視でもなんでもない。 よく退屈潰しにソシャゲをやると耳にするが、私が思うにそれは退屈なんじゃなくて「なんらかの刺激を摂取したいからやる」の方が正しいと思う。つまり、刺激を求めてる。何故、刺激が欲しいのか。刺激を味わうのが気持ち良いからだ。また、刺激を味わいたいからだ。刺激を味わっていないと、欲しくなるからだ。もし、退屈なだけなら、ソシャゲである必要性は無い。ガチャを回す必要も、課金をする必要もない。 それって、お酒と何が違うの?煙草と何が違うの?シャブと、何が違うの? 私は、父が煙草を吸ってる理由が分からなかったし、煙草を吸っている父を心の底から蔑視してたと思う。 でも、煙草を吸わない代わりに、私は酒を呑むようになったし、ソシャゲにも嵌っている。これは、父の吸っていた煙草と何が違うのか。 違わない。全く、違わない。 私達が摂取しているソシャゲという刺激物は、父達の世代にとっての煙草や酒と同じ物に過ぎないのではないか。 何度も言うが、これはソシャゲとその製作者をを貶めるつもりで言っている訳ではない。というか、酒も煙草もソシャゲも悪いとは思わない。 人間が生きる以上、そういう形でなんらかの「刺激」を摂取する媒体は必要だと思っているし、それで商売をするのも真っ当な経済行為だと思う。 問題なのは、それを作ってる人達が、自分達が依存したくなる程の「刺激」物を作っているつもりがあるのか、どうかだ。 よく考えて欲しい。自分達が呑みたいと思わない酒、吸いたいと思わない煙草を売っている会社の製品を買いたいと思うだろうか。 夏にキンキンに冷えたビールをスーパーで買ってしまうのには、それなりの理由がある。それは頭で考えて理解するというより、肌で感じて分かるものだと思う。 自分達が毎日、聞いて、見て、味わたい「刺激」か、どうか。中毒になって、生活時間が縛られるほどのヤバイ代物を作れているかどうか。 まず、そこで、売れる、売れないは、その先の話ではないのか。依存性、中毒性を持たない薄味のソシャゲに手を出して、時間を費やして、ジャブジャブ課金したいと思う奴が居るだろうか。 どうしても、その疑問が付いて離れない今日この頃なのでした。 ※4月1日追記 ゲーム性は微妙だが、キャラやストーリー、演出は悪くない、というソシャゲは少なくない。 昨年ぐらいまで触れてた「ブラサジ」「アサリリ」「アルスノトリア」もそうだったし、最近だと、「トワツガイ」の雰囲気やキャラ達の会話には、かなり引き込まれるものを感じた。 ここの一枚絵とか、本当、ふつくしい……。 ただ、私、このゲーム、まともに遊んでいない。理由は単純で、ストーリーを読むためにクリアしなければならない戦闘パートと武器の育成パートに魅力を感じられないからだ。つまり、ゲーム部分が面倒で、肝心のストーリーに触れようと気持ちが湧いて来ない。 だったら、小説とかアニメでいいや、となってしまう。だって、そっちの方が手軽に味わえちゃうからね。最悪、別のソシャゲでもいい訳で。 「FGO」でも序盤、本当にテンポが悪くて苛々した。よくネタにされる「おっと、ワイバーンだ!」が出る度に「そんなの、どうでもいいから、話を読ませろよ」と心底、うんざりした記憶がある。「FGO」が、その辺を割り切って、ストーリーに絡まない戦闘を省いたのは自分達の強みを理解した上での英断だと思う。まぁ、だからと言って、普段の周回ゲーが面白いかと言えば話は別だが。 ※実際、私は「FGO」を続けるにあたり、メインストーリー関連とお気に入りキャラ中心のイベント以外からは手を引いた。残念ながら、FGOの周回戦闘にゲームとしての魅力は無いからだ。メインストーリーの更新が完全に終わったら、もうゲームとして遊ぶ事自体無くなる可能性は高い。 いっそ、「トワツガイ」は戦闘と育成要素を取っ払って、ストーリーとキャラの掛け合いだけ追える方が私なんか嵌り易かったかもしれない。実際、そこが強みの作品だと思うし。 そんなのゲームジャナイ!っていうなら、そもそも、ソシャゲになんかせず、ADVのパッケージゲームとして売り出してくれた方が、よっぽどいい。キャラとストーリーに自信があるなら、余計な不純物が混ざらないだけマシだと思う。その形態であれば、サ終後もファンは触れることが出来るし。 百合も私の好きなジャンルだし、そこでしか得られない刺激は確かにあって、毎日それを摂取できるなら、こんなにうれしい事は無い。問題は、それを得る為の「経過」が面白くないと、摩擦となってしまい、意欲が削がれて、やる気が湧かなくなる点だ。やる気が湧かないゲームはそれだけで、デバフを喰らってるようなものだと思う。 ※2023年12月13日追記 ■君はアヘン戦争を知っているか 小学生の頃、学校では大体、図書室に入り浸っていました。 理由は単純。図書室は校内で唯一、合法的に漫画が読める場所だったから。 ちなみに、その漫画というのが「日本の歴史」「世界の歴史」「中国の歴史」「世界の偉人」といった歴史や伝記の漫画シリーズ。おかげさまで教科書読まなくても、日本史や世界史は微妙に成績が良かったです。芸は身を助けるってねd(-- その中で、印象に残った出来事の一つが19世紀の清で起きたアヘン戦争でした。 それまで、清との貿易において、輸入超過で赤字続きだったイギリスが、打開策として推し進めたのが、大量生産した羊毛や綿織物をインドに輸入させ、さらにインド経由でアヘン(麻薬)を生産、清へ送り込み、清の国民をアヘン中毒にしつつ失っていた銀を回収するという三角貿易で経済格差を逆転させた、という荒業をやってのけたというお話。 勿論、清も黙っておらず、政府側でアヘンの取り締まりを強化するという堅実な対応を行った結果、イギリスは軍艦を送り込み、既に旧式化しつつあった清の軍隊に完勝。結果、イギリスは清に不平等条約を押し付けることに成功……という「世の中、金だよ!あと、力!!」という身も蓋もない形で幕を閉じたのでした。 やってることはえげつないのですが、でも、現実ってそんなもんよね……人権とか、そういうのは、ルールをお互いが順守しようっていう特定条件下でのみ成り立つのであって、そうでなきゃ、やったもん勝ちな訳でね? マキャベリも『君主論』の中で、「狐であることによって罠から逃れられ、ライオンであることによって狼を追い散らすことができる」といっている通りで、清の取った措置がどれだけ適正であろうと、それはそれを遂行しうる実力を有している場合にのみ機能します。イギリスの軍事力(暴力)に抗えるほどの軍事力(暴力)を有していなかった時点で、清側には初めから発言権などなかった訳ですね。ほら、少年ジャンプでも言ってるじゃないですか……「正義なき力が無力であるのと同時に 力なき正義もまた無力なのですよ」って。そして、「勝てばよかろうなのだァァァァッ!!」って。 ちなみに、幕末の日本が、黒船来航前後であれだけ危機感を募らせ、内輪揉めした理由の一つに、清がアヘン戦争を通じてイギリスにズタズタにされたという事実が知識として伝わっていた、という点も影響していた、とされています。なにしろ、お隣の、古くから色々因縁のある国ですからね。しかも、自分達より格上の……。 子供の頃は「なんで、アヘンなんて馬鹿なもの買うんだろう。しかも、他所の国から。理解できない……」と単純に思っていたものですが、じゃあ、今の私達が、当時の清の人間たちを笑えるのか、というと、果たして、どうでしょう。 先述の通り、ソシャゲやスパチャといった各種のデジタル・コンテンツは旧来のゲームなどよりも遥かに中毒性が高く、そこで流出していくお金の額も桁違いです。私も、この八年でソシャゲ全般に費やした課金額を合算すれば50万に届くでしょう。 後、私自身はとても手を出す気になれませんでしたが、vtuber の動画とかをリアタイで見てると、当たり前のように万単位でスパチャが乱れ飛んでていて、正直、恐怖を覚えたものです。 勿論、お金というのは流動的なもので、回らないことには経済は成り立ちません。 お金が動くからこそ、そこに人が群がり、才能が集まり、より良いーーより刺激の強いーーサービスを得られるようになる訳です。お金が動かなければ、人は寄り付きませんからね。 だから、ソシャゲの課金にも、vtuber のスパチャにも、意味はあると思います。 ……ただ、注意しないといけないのは、課金もスパチャも必ず何割かはプラットフォームの提供側(つまり、国外)に手数料として流れちゃってるということですね。 私たちは推しのキャラやvtuberに貢いでいるつもりで、実際には一部を彼らに支払ってる訳です。ちょうど、スーパーで買い物をする際、消費税として10%を国に徴収されているのと同じように。 これが消費税のようにまだ国内での金銭の流れなら、何かの形で私達の生活に循環される可能性もあります。しかし、国外に流れた金は、ただただ損失でしかありません。インド経由で持ち込まれたアヘンによって、清国内の銀がイギリスに流れたのと同じ構図ですね。 だとすれば、ソシャゲやスパチャといった刺激が強く中毒性の高い各種デジタル・コンテンツは令和のアヘン、言わばデジタル・ドラッグ以外の何者でもなく、私達は既にその中毒患者になり果ててしまっているのではないか。 そして、この当たり前のように普及したデジタル・ドラッグを通じて、気が付いた時には、日本国民のお金は国外に流れ切ってしまうのではないか。年老いた私達の手元に残っているのは、スマホと私達からお金を搾り取るデジタル・ドラッグだけになってしまっているのではないか。 だからと言って、それを理由にソシャゲやスパチャを叩くというのもおかしな話です。 何故なら、清にとってのアヘンと同じように、それらは決して他者から強制されるものではなく、常に購入する側に、つまり、消費者側に選択の権利は握られているのですから。 私達は常に自らの意志で、身銭を切って、他者から刺激を購入します。例え、そこになんらかの意図が込められていたとしても、関係ありません。不要だと思えば、買わなければ済む話なのです。主導権は常に私達にあります。その責任も含めて。 ただし、身銭を切って買っているものが、自分自身の首を絞める形になっている、という揺るぎようのない事実だけは常に念頭に置いておかなくてはいけないと思います。大変、酒の不味くなる話ではありますが……。 そんなことを思いながら、デイリー任務の消化に勤しむ今日この頃なのでした。さて、年末年始は何を引こうかしら……(-- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月13日 22時49分41秒
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