テーマ:今日の出来事(292874)
カテゴリ:感想
今日、帰りの新幹線で停電に見舞われた。
地震の余波で、僅か数分であったが、さっきまで煌煌と輝いていた車内が真っ暗になっていた間は、なんともいえない不安が込み上げてきた。 この暗闇がいつまで続くのだろう。もしかして、ずっとだろうか……そんな思いが過った。あの心細い感覚が、ずっと続くとなると、とても耐えられる気がしない。 不意に日常が失われるというのは、こういうことなのだろうか。 なお、停電はすぐに復旧し、運転も再開した。そして、無事、東京の家にたどり着いた。 帰宅時点での部屋の室温は、14.9度。 数日、留守にしていただけで、こんなに冷え切ってしまうのだな、と感嘆する。 金沢の実家と違って、ここには出迎えてくれる人もいない。それでも、ここは我が家だ。電気があり、食料があり、毛布がある。本に至っては山積みだ。小さくて、冷たくて、狭いけれど、家は家だ。 だが、震災に見舞われた人達には、その帰る家さえもない。 1月1日午後4時頃、地元で大きな地震が起きた。 震災が、また大勢の人間を不幸にした。いや、したではないな。今、している。していく。 私は、赤の他人の幸せを祝福してやれるほどお人好しじゃない。 でも、他人の不幸を見て悦に浸れるほど捩りきれてもいない。 不幸も悲劇も、物語(フィクション)の中でだけ輝くものだ。現実に起きて嬉しい筈がない。 金沢駅近くの実家は、大きく揺れこそしたが、そこまで大きな影響を受けずに済んだ。周囲の建物も同様だった。駅構内では水漏れが起き、今日も零れ続けていたが、復旧作業中だったし、新幹線も無事に運行を再開してくれていた。関係者の方々には年始早々から本当に頭が下がる思いだ。 私も母も無事だった。親戚も、幼馴染も、会社の上司も、みんな、無事だった。私自身に限って言えば、遠方で余波(震度5)浴びたに過ぎないから、画面越しに惨状を眺めていたその他大勢の人達と基本的には大差ない。 ただ、いつ自分や母も同じ目に遭うか分からないし、遭ってもおかしくなかった。 もっと強度の脆い建物にいたら? もっと震源地に近い位置にいたら? もっと落下物の多い場所にいたら? 皆、私や母と同じように、大晦日に紅白を見ていたのだろう。そして、元旦におせちを食べ、初詣にお参りし、自宅でのんびり過ごしていたに違いないのだ。なのに。 昨日も今日も風呂に浸かりながら、人は死ぬものだな、と思わずにはいられなかった。 GWの時も、コロナの時も同じことを思った。当たり前の日常の中で、ようやく忘れかけつつあったけれど、否応なく思い知らされた。戦争や疫病があっても、なくても、関係ない。理由などなく、ただ死ぬ。死んだ人達に死なねばならなかった理由などない。そんなもの、あってたまるかって話だ。 いつだって人は死ぬのだ。ただ、理不尽に。私だって明日、死ぬかもしれない。いや、今日かも。 頑張れば報われる、正しいことをやっていれば、ずっと無事でいられるなんていうのは、所詮、幻想だ。 これから、生き残った人達は、この現実と向き合わなくてはならない。いつまた襲ってくるかもしれない死の恐怖に晒されながら。これから、生きていく間、多分、ずっと。 だからこそ、後悔しない生き方をしたい。 その時、できるだけ後悔しないように、今、やりたいことをやる。会いたい相手に会う。食べたいものを食べ、言いたいことも言う。不意に死が訪れる、その前に。 私たちにできることなんて、結局、その程度でしかないのだから。 常々、思う。 特別なことなんて何も要らないな、と。 いいね、も、コメント、も。そんなもの、どうだっていい。 静かに、穏やかに、暮らせるなら、ただ、それだけで。 ……酒だな。 こういう時は、ただ酒を飲む。本当は嬉しい時や楽しい時、酒なんて要らないんだわ。 辛い時、悲しい時、どうしようもない時。その理不尽さを紛らわすために酒が要る。 椀に、酒が注がれた。 史進は、それを一息で呷り、一度、大きく息を吐いた。 「侯真、死ぬなよ」 「生きていることを忘れるほど飲めば、死ねませんね」 「それでいい」 史進が笑った。 これは、北方先生の『岳飛伝』からの一節。 今年は、無性に酒が飲みたくなる年始だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年01月07日 21時15分21秒
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