カテゴリ:アニメ
元々、去年『ハンニバル』の解説動画を探してた時に、守鍬刈雄さんのyoutube動画に辿り着いて聞き漁ってたのですが、ホラー映画やスリラー映画の解説動画を見まくった結果、それ系の関連動画が youtube から山ほど流れてきてしまい、ギエーってなったので、しばらく距離を置いてました。 で、久しぶりに観に行ったら、今回の批評動画を発見したのですが、これが非常に面白い。 何が面白いって「いかにAIブラック・ジャックが漫画として洗練されてなくて、おまけに物語的にもキャラクター的にも解釈違いか」を示すために、わざわざ「同じプロットなら、こっちの方が"らしい"よね。面白いかは別として」って自分で書き起こして対比させながら、解説してくれてるのが凄い(^^; 全シーンの台詞を逐次説明してるだけでも大変なのに、わざわざ、そこまでやるんかって。だからこそ、聞き応えというか、説得力を感じれる訳なんですけども。百聞は一見に如かずって、言うものね。 聞きながら、本当、ブラックジャックという作品が好きなんだなってしみじみ思いました。好きだからこそ、納得できないことってありますよね。世間では、そういうのを最近、厄介オタクって呼ぶ傾向があるみたいですけど、それはちょっと違うのでは、と思ったりも。大体、面白ければいいんだけれど、面白くないから、そういう細かいところが引っかかる訳でね?
後、解説の後に「物語に正解というのはない」「二次創作に原作者の魂が入ることはないんだと考えた方が良い」「二次創作がダメってことは無い」って仰ってたんですが、これは本当、その通りだな、と思いました。 結局、面白ければ、それでいいんだと思うんですよ、私も。 前にも書いたんですけど『聖闘士星矢』の原作とアニメって似て非なるものでしたけど、でも、私はどっちも好きでしたし、『スレイヤーズNEXT』もアニオリの1話、本当面白いし、最終回(第26話)とか原作改変してるんですけど、寧ろ、そっちの方が盛り上がってる。『Fate/Staynight HF』も『空の境界 俯瞰風景』とかもそう。 勿論、原作は好きだけど、じゃあ、違ってたアニメ版は悪かったのか?というと、そんなことはない。 例えば、押井監督の『攻殻機動隊』とか『イノセンス』は、士郎正宗先生の漫画版を下敷きにしてるけど、まるで違う。でも、じゃあ、どっちかが駄目かというと、どっちもちゃんと面白いし、味がある訳ですよ。寧ろ、個人的な意見を言うと、バトーに関しては『イノセンス』のムスッとしてる奴が一番好きまである。だって、ガブリエルきゅんとの対比が可愛いから(ぉぃ)でも、ある意味で一番、原作から懸け離れたバトーなんですよね、あれ。
だから、原作改変とかアニオリが悪いんじゃなくて、「より面白く出来るなら改変はあり」だと思います。無理に原作に拘るより、媒体に併せて魅せ方を最適化するのは、決して悪いことではないと思いますね。まぁ、それが難しいことだとは思うんですが。 あと、こちらも。 聖書は真面目に齧っといた方が良いですね。洋画やアニメを楽しむ意味でも、歴史や社会を理解する意味でも。ギリシャ神話と三国志も良いぞ(-- あと、ドミノが劣化インセプションなのは本当、そう。あー、同じ感想の人がいて、ちょっと安心した……。 ※5月18日追記 物語か、キャラクターか、観客か 今回、AIブラック・ジャックの批評を聞きながら、改めて思いましたけど、この手の「解釈違い」って、往々にして、作り手の元作品の研究不足か脚本の都合のどっちか(あるいは、その両方)で生じてるんじゃないかなって。 つまり、「こういうストーリーを描きたい」「これらのキャラクターを使いたい(今回で言えば、ドクターキリコとか本間先生)」という前提条件が初めにあって、それに沿って話とキャラクターを動かす。ただ、そうなると、結果としてキャラクターがストーリーを紡ぐのではなくて、ストーリーがキャラクターを動かしているように観客(読み手)には見えてしまう。もっと言えば、書き手が書きたいものを優先してしまって、観客(読み手)への効果(面白いと思わせること)が後回しにされてしまっているのではないか。 「飛影は、そんなこと言わない」ってネットスラングがありますけど、あれねぇ、割と真理だと思うんですよね。視聴者に「このキャラは、そんな事、言わないよね。この作品は、そういう話じゃないよね」って思わせちゃったら、色々、アウトなんですよ。だって、醒めちゃうから。物語って酒と同じで酔わせてナンボだと思います。それがまた難しいんですけどねぇ。 だから、ストーリー毎に、それに応じたキャラクターは必要なんだと思うし、一つのキャラクターでストーリーを描き続けるのは結構、大変だなあって。 それでも面白かったり、悪くない味があれば「まぁ、ええか」ってなる訳ですよ。第三者的にも。先述した押井監督の『攻殻機動隊』もですけど、『エヴァ』なんかも庵野監督のTV版と漫画版(貞本版)で、結構、違う訳ですよ。でも、どっちも面白いし、味があるからいいじゃんね。勿論、好き嫌いはあると思いますけど。『響けユーフォニアム』と『リズと青い鳥』も諸々、違うけど、やっぱり、どっちも好き。 料理だってそうじゃないですか。集めた材料が同じだからといって、料理人次第で同じ料理になるとは限らない。ビーフシチューと肉じゃがみたいに違う料理が出てくるかもしれない。でも、美味しければ、なんだかんだ納得できちゃう。「ああ、こういう味もあるのか」と。「期待してたのとは違うけど、これはこれで悪くないな」って。でも、不味かったら、当然、文句を言いたくもなるよね。「なんじゃこりゃ」と。 だから、今回のAIブラック・ジャックの批評を聞いてて思ったのは、「ブラック・ジャックという作品の構成要素は使っているけれど、ブラック・ジャックという作品と比較すると解釈違いがある。それでも、面白ければ(味があれば)良かったけど、そこも正直、足りてないね」という話だったのかな、と思いました。 じゃあ、「物語の面白さ」って何だろうって言うと、「料理の美味しさ」って何だろうに近いんじゃないかなって。集めた材料も大事なんだけど、結局は、それをどう調理するかに掛かってる。 例えば、不味くするのは簡単なんですよ。塩を1杯入れるところ、100杯入れてもいいし、塩の代わりに砂糖をぶちこんでもいい。折角の新鮮な肉や野菜を丸焼きにして黒焦げにしてしまえばいい。つまり、味付けや調理を少しでも間違えると、料理は簡単に不味く出来るんです。物語も同じです。面白くなくすることは簡単なんですよ。逆に、面白くするのは難しい。 何故なら、面白くない(美味しくない)と面白い(美味しい)の境目には「んー、まぁまぁ(モグモグ)」という可もなく不可もなくなゾーンがあるからですね。そして、大多数は、こっちなのだ……(==
逆に言えば「面白いか否か」という点で出力元がAIか、人間かは全く関連性が無いとも言えてしまう。AIが「細かい漫画としての面白さ」まで分析した上で、別の味として、ちゃんと出力できるのが当たり前になったら、もはや、AIを使わずに漫画を描くのは完全に趣味の領域になってしまうのでしょうね。今が違うのか、と言われたら、なんとも言えませんが。 ……というか、折角、「AIを利用してブラック・ジャックを描く」なら、「AIを使った医療とブラック・ジャック」みたいな話にして、医療の観点からAIの可能性と問題点をブラック・ジャックのストーリーを通じて描かせる方が面白いかどうかは別として話題性は出たかな、という気もしますね。つまり、AI自身にAIを語らせるわけです。その方が読んでる方も「ああ、そういう風に絡めてきたか。やるじゃん」って思えるでしょうし。今回、なんで、AIの話にせず、人工臓器の話にしたのかは、ちょっと気になるところですね。まぁ、こういうのは後だから言える事なんですが…… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月19日 17時01分18秒
コメント(0) | コメントを書く
[アニメ] カテゴリの最新記事
|
|