カテゴリ:感想
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ああ、想像するだけでわくわくします。 『名は体を表す』という言葉の通り、この作品に描かれてる全てがグロテスク。劇中に出てくる誰かの自分語りは全て自己憐憫と断片的な情報に基づく憶測、そして感情に基づく自己正当化のそれ。私がダラダラ書いている感想や批判のそれと同じく。 しかし、突き詰めた話、人が生きるということは、そういうことなのかもしれない。私達の苦悩や苦闘は全て各々の主観に基づいた欺瞞でしかなく、客観的に見た時、それらは全てグロテスクでしかない、ともいえる。 陰険で悲観的で嫉妬深い(その癖、自分自身にはびっくりするぐらい甘い)主人公も、自分自身を「生まれついての娼婦」と自嘲する美しい妹も、それぞれおかしな方向に流れ着いた同級生達も、自分の生き様をドラマティックに語る殺人犯の中国人も、彼女達の死に心を痛めながら哲学に耽る老教師も。みーんな、グロ。グロテスク。 だが、それがいい。このグロテスクさこそ、生きることへのストレスが生み出す歪み、軋み以外の何物でもないのだから。現実逃避、大いに結構。どうせ、最後は皆、死ぬのだ。それが老衰か、地震か、病気か、銃撃か、事故か、絞殺かは分からんけども。 母が交通事故で入院した時も思ったし、コロナの時にも思ったし、年始の能登震災でも改めて思い知らされたけど、私達はいつ死ぬか分からない。いつまで生きれるか分からない。言わば、シュレディンガーの猫のようなもの。明日の私が生きてるなんて、誰に分かる。誰にも分かるものか。明日、死ぬかも知れないという腹積もりで生きる以上に出きる事なんてなんにもないのだ。 ……それにしても、驚いたのは劇中に出てくる主要人物が軒並み39歳だったこと。なんと、私と同い年ではないか。こういうのもまた縁というものなのかしら(どうでもいい) ちなみに、一番、劇中で感情移入できたのは、主役である「私」。諦念と悪意と僻みに満ちた精神性が、びっくりするぐらい私のそれでした(^^; 「しっかり、商売しようね」 「死に向かってね」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月10日 20時40分10秒
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