テーマ:読書(8600)
カテゴリ:感想
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小を積んで大を為す。私の好きな言葉です。 要するに「大きいことを為したいなら、小さいことを積み重ねろ」という至極、当たり前の話です。二宮先生の場合、倹約と農作(収入)の話なのですが、何事にも通じることですね。 確かに努力は大事だし、積小為大は真理だと思う。 でも、気を付けないといけないことがあって。 それは、「努力することが重要という考えに憑りつかれて、無駄な努力をしようとしていないか」ということ。 要は、 1)継続できる行為か 2)達成できる目的か ということです。 1点目は単純で、まさしく、その「小を積む」という行為を「私/あなた」は毎日、実践できるのか、いや、したいのか、ということ。 客観的に見て、それほど複雑ではない単純な行為でも「やりたくないこと」を継続するのは難しいです。特に精神的に。 私の場合、動物(魚含む)を絞めたり、捌いたりする生臭いのは無理ですし、炎天下での肉体労働もマジ無理。辛い、シンドイ……(== この辺は個人差があると思いますので、結局、色々やってみて「これなら毎日できる」という実感を得ていくしかないと思います。 2点目は「為したい大」、つまり、目的の実現性です。 例えば、才能に依存する分野では、幾ら小を積み重ねても目的を達成できないことが多々あります。 特に多数の才能がぶつかり合う、ひしめき合うような業界においては、自分が幾ら努力を重ねたところで、「より努力してる誰か」「より才能のある誰か」「より名声のある誰か」……要するに「より"他人から求められる何かを提示できる"誰か」が居る限り、勝ち目はありません。 また、その行為が状況に合うものかどうかも、よくよく考える必要があります。 例えば、雨漏りを塞ぐのは平時であれば意味のある建設的行為ですが、洪水が押し寄せて来る時にやっていても意味はありません。家ごと押し流されるだけです。 戦中、日本が米軍の爆撃機に空襲された際、バケツリレーで消火することが国民に義務付けられていましたが、やはり、これも無意味でした。勿論、消化もバケツリレーも意義のある行為です。しかし、大量の焼夷弾を延々と投下されている状況下では焼石に水です。諦める他ありません。 要するに……努力の価値は、時と場合によって変わるのです。 確かに、努力は大事です。努力しなければ、何かを作り上げたり、成し得たりすることは出来ませんし、小さい積み重ねは重要です。 しかし、その努力というのは、本当に意味があることなのか。努力すること自体が目的になって、傍から見て無意味な行いに堕していないか。 「努力すれば、いつか夢は叶う。きっと誰かが認めてくれる」という美辞麗句に踊らされ、「努力することに意味がある」とか「これだけ努力したんだから報われて当然」などと変に思いこんじゃいやしないか。希望的観測に憑りつかれてはいないか。 努力を美徳として描くのはフィクションの定番ですが、当然ながら、この世界は「私達の願望を叶える為に用意された世界」でもないし、他人は「私達の欲望を叶える為の都合の良い脇役」でも無い訳でして。 その辺の見極めと諦め(成果ではなく行為自体を楽しみにする等)は、どこかでしなきゃダメだよ、と思う今日この頃でした。現実は非情である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年10月18日 00時09分58秒
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