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日本酒好き親爺の日々

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2009.12.31
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カテゴリ:その他
 
 今年は、身内に不幸が多く 初詣はしない方がいいような感じなんですが、本来(正しく)は、どうなんだろうと思い調べてみた。

 調べていると、あっちこっちのホームページに 神社本庁 のホームページに書いてある ようなことを書いてあるので ホームページに行って覗いてみたが 私には見つけられなかった。

 書いてある内容は、ひふみ便り~喪中の神社参拝 によると、

 『不幸があった場合、個人を悼み葬祭に専念するために、今日一般には、五十日祭(仏式では四十九日)が終わるまでは、神社の参拝を遠慮します。ただし、その期間は地方によって異なる場合もあります。』

らしい。


 さらに調べていたら、羽黒神社 の宮司が 詳しく書かれていました。下記記載。


 結論は、

 家庭(同居家族)に不幸(死去人が出た場合)があって神社や神棚の参拝を控える期間を全国統一して50日間と定めている。 この間を喪中とする。

 すっきりしたが、身近な親戚が不幸にあった場合には 割り切れないかも。

誤解を解くために
 忌服に関して、なぜこんなに誤解(曲解)が多いのか

 ここ数年の出来事ではありますが、ご家内にご不幸があって『むかしから一年間は神社に出入りしないと聞いている』という方がごくまれにおられます。しかしそれは本当なのでしょうか。

 『むかしから』といいますが、平安後期から鎌倉時代にかけて確立されたと思われる禁忌の諸規定や江戸時代、明治時代の服忌令にも1年などという記載はありません。我が国の象徴たる天皇陛下でさえ50日の喪があけると宮中の祭祀に復帰されておられるのに、ほんとうに「むかしから一年間」なのでしょうか?

 実は一年間神社の出入りや神棚の参拝を控えるという風習はどの時代にもなく、ここ30年ほどで流布されたデマなのです。

 現在全国の神社を統括する神社本庁ではご家庭にご不幸(死去人が出た場合)があって神社や神棚の参拝を控える期間を全国統一して50日間と定めています。しかし、戦前まで各地方や事柄によりその期間がまちまちだったのは事実です。

 ここに鎌倉時代に編纂されたとみられる「諸社禁忌」の一部をご紹介します。

事 項期 間内 容備 考
大凡(おおよそ)人の死30日間同居家族の死神社によっては50日
人の産7日間出産神社によっては3日
現在は30日~100日
六畜の死5日間鶏を除く家畜の死神社によっては1日~3日
農耕にかかわる家畜の死は忌む
失火7日間火災神社によっては3日
流産(4ヶ月未満)7日間  
流産(4ヶ月以上)30日間  

 明治七年に太政官布告の『服忌令(ぶっきれい)』が出されます。これによると忌(き=いみ)と服(ふく)とは明確にくべつされ、

 忌は神社への参拝、家庭のまつりを遠慮する期間
 服は精神的に故人を偲ぶ期間

で以下のように記載されています。

死亡者との関係
父母50日間13ヶ月間
30日間13ヶ月間
養父母30日間150日間
祖父母30日間150日間
20日間90日間
嫡子20日間90日間
兄弟姉妹20日間90日間
死亡者との関係
祖祖父母20日間90日間
叔父叔母20日間90日間
養子10日間30日間
異父母兄弟姉妹10日間30日間
10日間30日間
従兄3日間7日間
甥姪3日間7日間

 忌(神社参拝を控える期間)は最高でも父母の50日間です。

 ではなぜ前述のような誤解がうまれたのでしょう? いくつかの理由が考えられます。

 葬儀には大変な経費がかかり、その年の祭礼の神賑わい行事、とりわけ祭り衣装や客の接待などを控えたものと神社への参拝そのものと混同した (子供が神輿や山車に携わらぬよう「1年は神社へ行くな」といったものが曲解されていった)
 昭和20年以降大東亜戦争の影響で伝えてゆくべき壮年層が極端に少なかった時代があります。「1年神社へ行かない」などといいだす輩が出現したのはちょうどその10年前後です。
 喪中の年賀欠礼はがきが流行した。~これもちょうど昭和30年ごろからです。これによって喪中=1年間という間違いが広まったと考えます。最近の喪中はがきは「妻の母が」や「弟の妻の父が」など目に余るものがあります。喪中とは喪服を着ている期間のことです。この人たちは1年間喪服を着て食肉をせず、仕事もせず、家族以外の人と接触を断っているのでしょうか?私はいまだかつてそんな人にお目にかかったことがありません。
 もうひとつ重大な理由は神職自体がこの「忌服」の問題にあまりにも無知であって、ことさらにふれなかったことです。
 ひとつには明治のある時期まで神式の葬儀が国から禁止されていたことで葬儀(またその後の先祖の祭)全般を仏教の僧侶にゆだねてしまっていたこと。
 もうひとつには「ハレ」の祭の席で葬儀云々の話がはばかられたことです。われわれ神職にも大いに責任があり、正してゆかねばなりません。

「ハレ」の祭と「ケガレ」

 穢れ(ケガレ)は「気枯れ」といい、気力がなくものすごく落ち込んだ状態をさします。(穢れを汚れと同意義に論じたため一部の仏教宗派が塩祓いなどを批判していますがバカバカしいの一言に尽きます)

 「ケガレ」(気枯れ)の状態をはらす(祓う)のが「ハレの日」即ち「まつり」です。(実際に以前は不幸があって50日目に神主が家に赴き「忌明けの祭り」をし、その後家族全員で氏神様に詣でるのが通例でした。祖先の霊は氏神様の杜に帰られると知っていたからです)

 逆に気枯れの状態が積み重なってゆく最たるもの、それが死という状態です。

 近親者が亡くなれば誰でも悲しみ、落ち込み、こもりがちになると思います。しかしいつまでも悲しんでばかりはいられません。人は平常の生活に戻らなければなりません。

 平常な生活とは、物を食べ、服を着、屋根がついた家で寝て、糧を得るために働くことです。その生活の中で常に恩恵を受けているのが「氏神様」であり、神棚に祀られる「天照大神様」であります。(平常な生活に戻っていながらなぜ神様にお参りすることだけを1年間も拒むのか。理解に苦しみます)

 「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という言葉は神社神道の根本を指すものです。「敬神」と「崇祖」は別々ではありません。氏神様とはもともと地域全体のご先祖様を個人ではなく地域という集団で祀る場所であったのです。

 もともと日本人が持っていた「敬神崇祖」というすばらしい観念が知らずしらず捻じ曲げられていくような気がして残念でなりません。

 どうぞこのホームページに訪問していただいた皆様方には常に氏神様を敬い正しく祖先をおまつりされますよう、切に願うしだいであります。
羽黒神社宮司 記


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最終更新日  2010.01.13 16:08:32
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