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初詣に 津島神社 に行ってきました。
参拝のために本殿の方に行くと回廊の方から音楽が、見に行くと 祭事 がとり行われていました。 津島神社のHPによると 元始祭(皇位の元始を祝し、天地祖先の恩に感謝する。)がとり行われていたようです。
神様ですので 二礼二拍手一礼 のもとに参拝をしました。 次に おみくじ ですね。 なんと 『大吉』 がでました。 今年は正月から縁起がよいな。 それから、木彫りの干支 を購入し 最後に 甘酒をのんで帰りました。
天気の良い三が日なのに 車も簡単に止められ(天王川公園駐車場)思ってより混んでいませんでした。 | | |
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津島神社 - Wikipedia | 津島神社(つしまじんじゃ)は、愛知県津島市にある神社である。社格は国幣小社で、現在は神社本庁包括の別表神社。
建速須佐之男命を主祭神とし大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀る。当社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社であり、その信仰を津島信仰という。
中世・近世を通じて「津島牛頭天王社」(津島天王社)と称し牛頭天王を祭神としていた。
東海道名所図会に津島牛頭天王と記載される。 | |
歴史
社伝によれば、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。
弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年~994年)には一条天皇より「天王社」の号を贈られたと伝えられる。しかし、延喜式神名帳には記載されておらず、国史にも現れない。
年代が明確な史料では、承安5年(1175年)の名古屋七寺蔵・大般若経奥書に名前が見えるのが最初であり、実際には藤原摂関時代の創建と見られる。
延喜式神名帳の記載はない(式外社)が、尾張国国内神名帳では海部郡の筆頭に「正一位上 津嶋牛頭天王」と記載されている。
東海地方を拠点とした織田氏は当社を氏神として崇敬し、社殿の造営などに尽力した。織田氏の家紋の木瓜紋は当社の神紋と同じである。
豊臣氏も社領を寄進し社殿を修造するなど、当社を厚く保護した。江戸時代には尾張藩主より1293石の神領を認められ、後に幕府公認の朱印地となった。厄除けの神とされる牛頭天王を祀ることから、東海地方や東日本を中心に信仰を集め、各地に分社が作られた。
明治の神仏分離の際、建物・祭事などにおけるあらゆる仏教的な要素は廃され、祭神を建速須佐之男命とし、社名から牛頭天王の名を外して津島神社とした。
明治6年(1873年)に県社に列格し、大正15年(1926年)に国幣小社に昇格した。
神社のすぐそばに天王川公園がある。公園の中央には楕円形の池があるが、これは、江戸時代まで町の中を流れていた佐屋川が木曽三川分流工事のさい、洪水対策で廃川となり、その支流・天王川もせき止められたものである。
牛頭天王は排斥されたが、神社の祭りは尾張津島天王祭として、今も「天王」の名が残っている。 |
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最終更新日
2012.01.27 10:49:41
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