カテゴリ:日々のカケラ
朝玄関の引き戸を抜けると、近頃は秋の祈りを思い出す。山尾三省さんの「秋の祈り」だ。おやじが庭仕事をしなくなって荒れ放題だったのが、この夏、庭師に頼んでかなりすっきりしてしまった。しまった、というのも、ぼくはどちらかと言うと荒れている庭が好きだった。その方が何となく落ち着いた。きっとだらしのない性格がそうさせるんだろう。すっきりした庭の代表格が、金木犀だった。至る所の枝がばっさりと切り落とされた。それでもまた、たくさんの花を咲かせ、甘い匂いで庭を包んでいる。 秋の祈り ―辻幹雄さんに― 山尾三省 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが しずかでありますように あなたのこころが しずかでありますように わたしのこころが 流れますように あなたのこころが 流れますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが 人を責めませんように あなたのこころが 人を責めませんように わたしのこころが そこにほとけを見ますように あなたのこころが そこにほとけを見ますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが 傲りませんように あなたのこころが 傲りませんように わたしのこころが 幸いますように あなたのこころが 幸いますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく わたしのこころが 流れますように あなたのこころが 流れますように わたしのこころが 幸いますように あなたのこころが 幸いますように 金木犀 咲き匂う 秋の日に 祈りのこころが たどりつく この詩は、数年前の秋だったか、三省さんを愛した友が送ってくれた。祈りという人の深い行いなのに、あまり関心のないぼくだった。もう10年以上も前になる。娘が目を患い、毎日神頼みをしたけれど、その祈りは叶わなかった。それ以来、祈りから遠ざかった。叶わないものは祈ることもないし、叶ってほしい願いもない、などと心でうそぶいていた。 それがどうしてこうなったんだろうか。今は祈りを欠かせない。叶ってほしい願いなどは、神頼みするほどのこともない。そんなものは、必要があれば叶うことになっている、などと心でうそぶいているというのに。 金木犀の匂いがうそぶいていた心にまで染み込んでくるとき、なぜだか少し恥ずかしくなる。心がそっと、三省さんにならって祈りたくなる。祈りとは、願うことではないのだろう、と思ったりしながら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 10, 2007 02:08:49 PM
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