カテゴリ:日々のカケラ
朝は散歩か、車でちょっと遠くの公園まで出かけての気功が続いていたが、今朝はふと思い立ってジョギングにしてみた。金沢に来ても奈良へ行っても走ったというヤギおじさんの影響は大だ。用もなく走るなんて何年ぶりだろうか。これでも中学時代は駅伝の代表選手だったし、子どもが小さかったころの町の運動会では、毎年優勝する強者家族をのぞいたらいつも上位に入っていた。とまずは昔を思い出してはみたものの、いきなり走るのはきっと無理があるだろう。ときどき見かける大手を振ったご近所のウォーキングよりずっと遅いじゃないかというスピードにした。 ジョギングだからと空手で出かけるはずがない。カメラは身体の一部。撮ることは呼吸みたいなもんだ。リュックに一番重い180mmのマクロレンズをつけた1Dsを入れて背負った。ギュッと締め付ければかなり安定して走れそうだ。調子は上々。朝日に鈍く光る側溝の鉄板さえきれいに見えた。落ち葉がかさこそと足にからみつく。ほら、大好きな葉っぱの朝露。立ち止まってカメラを引っぱり出す。気の済むまで何枚も撮って、また走り出した。あら、今度はかわいく寄り添ったコスモス。また担いだばかりのリュックをおろす。これじゃジョギングにならないな。 お目当ての公園についたときは、日はかなり高くなっていた。でも朝の空気はやっぱり最高のご馳走だ。裸足になって濡れた芝の上に立った。そうすると気功の間、より親しみをこめて大地を感じられる気がする。天人合一が気功の最終的な目的だと聞いて10年以上も親しんできたけれど、もう今はそんな大目標はどうでもよくなった。中健次郎さんの話を思い出す。「天も地も人も、はじめからひとつ」。きっとそれぞれの感じる度合いに応じて、ひとつの深さが違うのだろう。そう思ってしまえば、到達するべきゴールなどあってもなくても大差はない。人は、生まれても死んでも、変わらずに天とひとつなんだ。ぼくの気功はそんな具合に気ままなもので十分に効果的だ。 帰りまで撮ることは、もうなかった。出勤の車がビュンビュンと走り出していた。スピードは相変わらず歩くに似たり。どうせなら空いている両手も動かしてやれ。ぐるりんと肩を回しているうちに、飽き足らなくなってひらひらとチョウチョの真似をしてみたり、鷹のように大空を舞って走った。道路に映る自分の影を見ていると思わず笑ってしまった。瞬間的なら運動にも見えるが、何秒間か見られたらきっとこれでは変人扱いだな。ますます楽しくなって変人ぶりがエスカレートした。ジョギングは実に楽しい。明日からはもうすこし早めに出かけた方がよさそうだ。ゴミ出しの若い女性が少し訝しがっていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 11, 2007 05:39:45 PM
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