カテゴリ:ひかりっ子
植物たちの声、森の声を 私たちは聞くことができるだろうか。 あらゆる自然にたましいを吹き込み、 もう一度私たちの物語を取り戻すことはできるだろうか。 大好きな星野道夫さんからの問いかけだ。アラスカの大自然の中で呼吸した星野さんの生きた言葉の奥にあるものを感じることは、身近な小さな自然しか知らないぼくなどにはなかなか叶わない。大体が、たましい、という存在をストレートに言葉にしてしまうことに戸惑いを感じてしまう。天と地のはざまに生まれて生かされているあらゆる生物にとって、たましい、とはいったい何なんだろう。吹き込むことができるのか。私たちの物語とは、いったい何だ。同じ写真に関わり、なぜかその言葉に意味も分からずに惹かれる。星野さんの生きた長さを、ぼくは越えてしまった。何も見い出せないままに越えてしまった。たましい、というものを自然の中に吹き込んだとき、もう一度物語がはじまるんだろうか。 明日明後日の2日間、数人の中高生と白山の懐に抱かれて過ごす。初めて登る若者たちに、自然を分かっていないぼくが伝えられることなど何ひとつない。けれども、共に森の声を聞こうとすることなら出来るかもしれない。ぼくがもう間に合う年齢でなかったとしても、これからの若者たちにはまだたっぷりと時間はある。たましい、というものがあるのなら、いつまでも吹き込まれるのを待っていてくれるはずだ。アラスカも白山も、スケールは違っても自然とはきっとそういうものだ。若者たちよ、物語を取り戻せ。ついでにぼくのも取り戻す。意味もわからずに、そう願っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 12, 2007 06:29:37 PM
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