カテゴリ:ひかりっ子
「すっげえなぁ。雲海だぁ」。にぎやかなダイキが体中で感動している。となりではもの静かなシュンが遠くを見やる。スマートにマイペースなケンは、実物と液晶画面に映る風景を比べるように撮っている。高1のリュウは、3人とは年齢がひとつしか違わないというのに頼もしく落ち着いている。そんな彼らの近くにいて、そっとその心の中をのぞいてみたくなった。夕焼けはほとんど見えなかったけれど、天候にも恵まれて、錦秋の白山はいつもにも増してどっしりと少年たちを迎えてくれたような気がした。 この数年、子どもたちとの場を創りたいと思ってきた。ひかりっ子くらぶという名前までつけて、友人のゆうこさんとふたりで描いてきた。その相棒がほんとうのひかりっ子になってからは、何かを求めるような気持ちは薄くなり、描いていた場づくりを積極的に進める気もなくなっていた。それなのに、天上の友は計画を変えずにますます楽しんでいるのかも知れない。どこかへ連れて行ってとシュンが言い出し、カウンセラーのるみ子さんが世話するリュウも登りたいと手を挙げた。ひかりっ子くらぶが図らずも動き出してしまった気分だ。 どこまでも素直な子どもたちに、いい加減なぼくだけで関わるのは少し気が引けた。細やかな心配りができる相棒を頼もうとふと思い浮かんだのが、ナオコさんだった。学生時代はワンゲルで、今は日常を愛する詩人でもある、ぼくが信頼する友だ。おかあさん役にはうってつけ。2人の子をゆったりと育てた母だ。 同行をお願いしたとき、「お話し会のようなこともするの?」と不安そうに尋ねたナオコさんだったが、終わってみれば「もう少し何かあるのかと思ったわ」とすっかり拍子抜けしたようだ。定めた目標に向って動き回るようなことを、ぼくはもうしたいとは思わない。ひかりっ子くらぶの思いは、日常というこの地上の暮らしをなるべく楽しもうよと、その程度のことだ。 子どもたちにはひとつだけルールを伝えた。自分が居たいように居ること。ということは、誰もが居たいように居るということだ。互いを思いやる目で共にひとときを過ごせたら、それでいいのだと思った。あとは白山がなんとかしてくれる。そんないい加減なぼくだった。 午前4時少し前、階下の子らを起こした。眠れなかったぼくよりも手早く準備を済ませ、4人とも山小屋の外で待機していた。リュウが任せたリーダー役を静かにしっかりとこなしてくれる。早朝に目指す山頂は眠っている身体には辛いものだが、若さとは実にうらやましい。若者は先に行かせて、ナオコさんとゆっくりと登った。御前ヶ峰の風は冷たいという感覚を通り越し、岩陰にジッとしていても身体が震えた。「ほらっ」と促して、撮ったばかりのまだ薄暗い空の写真を見せた。ご来光のシーンは、万歳がこだまする日の出の瞬間より昇る前の方がずっと魅力的だと感じているぼくだ。御岳がくっきりと浮かび上がっている。「あれが八ヶ岳だと思うわ」。ナオコさんが指差す先に北や南のアルプスの山並みが連なる。秋の山頂の空気はどこまでも透明で、心にパリッと染み込むほどに澄み切っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 15, 2007 07:33:18 PM
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