カテゴリ:日々のカケラ
長女のナミが午後から白内障の手術を受ける。今では日帰りするほど簡単な手術になっているそうだ。けれども老いてからの自然な症状ならわからないでもないが、なぜ今、という気持ちにもなってしまう。叶うものなら代わってやりたい。このおやじなど、もう十分すぎるほどに健康に生かしてもらった。 10年以上も前の高校受験の年だった。ナミの目は、今と同じ白内障で右目が見えなくなった。網膜剥離の左目と合わせて、数週間入院して光を取り戻したことがある。現代医療を半ば否定していたぼくは、手術などしなくてもなんとか治せるはずだと、あまり気乗りしない娘を連れてあちこちと民間療法を尋ね歩いた。快医学、枇杷葉温灸、レイキ、外気功、酵素玄米、浄水器。健康食品の類いなどどれだけ試したか忘れてしまったほどだ。今から思えば娘には本当に無理をさせてしまった。「これ以上長引くと、手術もできなくなりますよ」と医者に言われた娘の見えない目を見つめながらついに観念した。 中には、いかがわしいのを承知で出かけた気功治療院もあった。後に摘発されて、やっぱり、と自分を笑ったが、その時は騙されてもいいと思っていた。万にひつでもありそうな可能性に賭けたかった。 その治療院で行われたまじないもどきの儀式に参加したことがある。願い事を紙に書き、それを持って煮えたぎる油の入った鍋に両手を入れるものだった。いかさま治療師のその男の呪文でもとりあえずは熱くは感じなかった。ヨシエどんもぼくも、「娘の目が治りますように」と当然のように書きながら、となりのナミの用紙をのぞき見た。目に飛び込んできた言葉に、ぼくは恥ずかしくなった。そこにはナミらしい踊るような文字で、「世界が平和でありますように」とていねいに書いてあった。 入院期間中のナミは、同室だったお年寄りたちのアイドルになった。退院するとき、「ナミちゃん、元気でね」と涙を浮かべた老婦に抱きしめられ、微笑みを浮かべて「はい」と頷いていた娘を今でも思い出す。どんな経験もきっと人生の肥やしにはなるのだろう。ナミは一段と優しい子になったような気がする。その娘にも今ふたりの子がいる。あれから世界は平和になったのだろうか。せめて今日一日ぐらいは娘と共に、心を静めて祈っていよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 16, 2007 11:16:56 AM
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