カテゴリ:日々のカケラ
ものの見事にハードディスクのひとつからデーターが消えた。仕組みがわかって使っているわけではないぼくに詳しい原因を突き止めることはかなわないが、とにかく初期化されたみたいにきれいさっぱり吹っ飛んでしまった。幸か不幸かデーターの中味は仕事関連ではなく、誕生以来ことあるごとに撮ってきたかわいい孫たちの写真だった。ヨシエどんは「よかったじゃない。仕事じゃなくて」と慰めてくれたが、その瞬間にぼくの口から出た言葉は、「仕事ならごめんと謝ればなんとかなるよ。でもタウリンたちとの時間はそんな簡単なもんじゃない」だった。正直な気持ちだった。 デジタル化の波に乗って、ぼくは割と早くからデジカメを取り入れた。写真は銀塩にかぎると言う愛好家の話をときどき耳にするけれど、その歴史はまだ200年にも満たない。誕生してアッと言う間に変遷してきた写真の、いったいなににこだわる必要があるんだろう。憧れの先輩の真似をするようにコダクロームの発色が好みなどと言っていた時期があったぼくも、いつのころからか、生きている時代にあることを肩に力を入れずに楽しもう、という気持ちになって行った。ぼくの写真は何に記録するかより、生きているいま何に出会って、どう感じて、どう撮るのかと、自然に動いてゆく自分自身の瞬間がもっとも興味深い。ちょっと大袈裟なようでも、それこそがぼくが生きている、という気がするほどだ。 photo by Namiko とは言いながら、データーは消えた。消えてやっぱり悲しい。はかないもんだ。フィルムなら防湿箱に保存しておく限り、ぼくが生きている間ぐらいはそのままだろうに。でも待てよ。火事もあれば天災だってある。仕事場もろともガラクタになってしまうことだってあり得るんだ。そこにぼくがいれば、同じように跡形もなく消え去ってゆく。どこかに境界線を引いて、ここからははかないもの、ここからは永遠のもの、などという区別などできない。大体が、地球や宇宙さえも、生まれて死んでゆく存在なんだ。はかないのはデーターだけではけっしてなかった。 はかないものに、少しだけこだわることにした。100パーセントじゃないがデーターが復旧できたと、依頼したパソコンショップから知らせがあった。伝えてきた代金はなんと100,550円。2日ほどの作業代らしいが、店主の言葉は「それで高いのかどうかはデーターの重要度の問題」とそっけなかった。大切にしているなら高くて当たり前なんだろうが、子や孫たちとの思い出の数々に値段なんかつけられるか。データーどころじゃない。人の命だって同じなはずなのに、嘱託殺人があり臓器が売買されている。まったくなににこだわって、世の中は成り立っているんだろうか。 その復旧したデーターをきょう受け取りに行く。財布の中味もこれできれいさっぱりなくなって、返ってすっきりした気分だ。はかないのだ、すべて。でもな、ほんとうに大切なものは、どこへも行きやしない。死んで還るまで、この心の中に大事に大事にしまっておこう。もしかするとそれは、天にだって持ち帰ることができるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 24, 2007 01:18:13 PM
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