Global Peace Meditation
Global Peace Meditation Day May.20,2007。5月20日世界平和瞑想デー。 これは、「地球交響曲第五番」にも登場したアーヴィン・ラズロー博士が創始したラズロ財団と世界賢人会議「プダペストクラブ」の企画だそうだ。ラズロー博士の提案する「量子真空エネルギー場」理論は、生命の誕生と進化の謎を解き明かすとともに、「全ての存在は繋がっている」という事実を、科学の側から説明できる考え方として政治、経済、科学、芸術、教育などあらゆる分野で「持続可能な未来」をめざす人々を勇気づけている(gaiasymphony.comより)。 ラズロ財団の招待状には、「意識は価値観と人間行動に対して、したがって生命圏における生の内実に対して、微細ではありますが、危機的瞬間には決定的な影響を及ぼすものと考えられます。このことに鑑み、この瞑想の目的は、世界の異なった地域において、私たちの惑星を――戦争と暴力によって引き裂かれ、脅かされ、生態学的視点からは非常な危機に瀕している惑星を――癒すために、瞑想し祈ることに関心をいだき、そのことにスピリチュアルに関わっている市民のクリティカル・マス(臨界量)を、彼らの集合的意識の力によって結集することであります。」とある。 これだけ読んだのではなんだか難しくて立ち入りたくない感じもするが、ぼくは世界平和を想像するときにはいつもティク・ナット・ハン師の言葉を思い出す。それは言葉は正確ではないが、ひとりひとりの心が平和でなくて、世界平和のありえようはずがないというものだった。隣の家族と喧嘩していてそれで世界平和を願っていても、いくらか首を傾げたくなる。 けれども一方には、宮沢賢治の「農業芸術概要要領」にはこんな有名なくだりがある。 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。 ナット・ハン師や賢治の言葉で、ぼくはなんとなくわかったような気分になった。「全ての存在は繋がっている」という事実が科学的にも霊的にも実証されつつあるなら、繋がっている実感の少ないぼくでも、それを信頼してできることがあるのだと。 平和の実現は世界が先でも個人が先でもないのだ、きっと。平和は、今、即、実現することさえできるのだ、きっと。ただ人が、ぼくが、そのように動いていないだけなのだと思った。 この日、世界の12の場所で10万人以上の人々が心を一つにして同時に瞑想に参加すると予想されているそうだ。それは、地球上に住む60億人のわずかに0,000017%に過ぎない。ぼくひとりが増えたところで、塵ほどにもならない。けれども世界はそんな微細な人間の集積であることも事実なのだ。ちっぽけと言えども、ひとりひとりの内なる平安が集まって、世界の平和が完成する。 さて、あなたはこの日、どこで静かなひとときを過ごし、どんなふうに個人の平和を築くのだろう。ちっぽけな平和ぐらい一日で創ろう。そうでなくて、世界の平和になるはずがない。 詳しいお知らせはこちらへ。*** マサヒロ丸は最愛のヨシエどんと共に山形へ出かけます。葉っぱ塾のヤギおじさんがお世話してくださるブナの森セミナーへの参加。緑の息吹きに包まれて、そこも世界と繋がっています。