カテゴリ:小苺話
こんにちは。
今日から三月、遅ればせながらお雛様を出しました(^_^;) こいちごのお雛様。 主人のいない雛人形、天使になった当初は頑張って出していたけれど それはそれは辛い作業で・・・。 片づけも半べそでね、だったらもういいやーと。 で、数年放置だったんですが、今年は息子が何故か「だせーだせー」と(笑) えー、めんどくさいーと思いつつ、 カビとかの様子見を兼ねて、頑張って重い腰を上げて出しました。 今ね、こいちごのビデオをDVDに落とす作業をしてるんです。 DVカセットビデオ使ってたんですけど、 昨年の太郎の卒園式当日に、卒園式始まる直前に壊れてしまって(+o+) こいちごのテープ、全部どうしよう!? 業者に頼むか悩んだんですが、結構な本数で ビデオカメラを購入した方が安く済むとわかり、中古で購入。 旦那に、それが壊れる前に早くDVDにしておけと言われて、 頑張って作業しています。 始める前は、せっかくふさがっていたかさぶたを剥がしてしまいそうで こわごわ始めたんですが、これが意外と楽しくてね。 かなり忘れていた出来事や、彼女の人柄を思い出して、 一人プププ(・´з`・)と笑いながら見ています。 いやー私も夫も若くて、初めての子どもであるこいちごへの 喋り方とか、接し方がなんていうの、 我ながら、キモイわぁw でもね、感じたことが一つ。 人って、忘れる生き物なんだってこと。 こいちごのことは忘れない。 彼女への思いも、何年たとうと色あせることはないし、 あの瞬間へ、あっという間に戻って、瞬間的に鼓動がスピードを上げる。 でも、あれからの年月、足りないものがありつつも、こうやって生きてきて、 今だから思える彼女への新しい思い、 今この瞬間の、私たち家族の形、彼女への気持ちが芽生えているのも確かなことで。 こいちごと過ごした5年間に上書きされるんじゃなくて 古い記憶の後ろに少しずつ重なって、ゆっくりしたスピードでずれていくのかな?って。 氷河が何万年もかけて、数センチずつ押し流されていくように。 こいちごと私たちのつながりも、私たちがお空の上で彼女たちに会える日まで、 少しずつ、少しずつ、流れていくような気がしてます。 だから、そのずっと遠くにある記憶を忘れちゃってるのかもしれないなーって。 忘れることが怖くて、絶対にあってはいけない事だと思っていたけど、 最近はそれを許せるようになってきた自分もいます。 都合がよすぎるかもしれないけどね(笑) でも、押し出していかないと進んでいけないのかもしれないなって。 うーん、自分でも書いてて意味わかんなくなってきたけど。 とにかく、小さいころのこいちごがかわいくて、悶えてます。 意外と涙もなく、今のところは見れてるかな。 見てよかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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