・うぶの札幌紹介 『札幌時計台編』
『札幌時計台』時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」と言うにゃん。時計台の愛称で全国に知られている札幌市時計台は、1878(明治11)年に札幌農学校の演武場として建設さたにゃん。札幌農学校は、北海道大学の前身で近代技術を導入し北海道開拓の指導者を養成する目的で開校したのにゃん。あの「Boys be ambitious」(青年よ大志を抱け)で有名なクラーク博士は1876(明治9)年にアメリカ合衆国マサチューセッツ農科大学学長から札幌農学校初代教頭に赴任したんだにゃん。だけどクラーク博士は、時計台で生徒を教えることが無かったのにゃん。1877(明治10)年クラーク博士のあとを継いで教頭となったW・ホイラーが基本構想図を作り、開拓使工業局主席技術者安達喜幸の設計、監督で1878(明治11)年10月16日に完成したのにゃん。費用は、当時のお金で3,869円16銭3厘だったのにゃん。完成したとき時計がつけられていなく小さな鐘楼(しょうろう)のみだったにゃん。開業式に出席した開拓長官黒田清隆の発案で、時計の設置が決まったのにゃん。1878年11月25日教頭ホイラーが「3面の文字盤を持ち、鐘の鳴る装置を備えた機械」をアメリカ合衆国ニューヨーク市ハワード時計会社に注文したのにゃん。1879(明治12)年8月札幌に到着した機械が予想以上に大きくすでに造られている鐘楼に設置出来ないことがわかったのにゃん。 時計の設置には建物のおおがかりな改修と費用が必要なため、当時建築中の豊平館や東京のどこかの建物に設置する考えもあったのにゃん。しかし、1881(明治14)年5月演武場に設置することが決まり、玄関正面部と鐘楼を取り壊し、骨組みを強化して時計を設置したのにゃん。改修費は当時のお金で1,329円かかったのにゃん。1903(明治36)年に農学校が現在の北海道大学の場所に移転したのにゃん。1906(明治39)年には札幌区が買い取り、解体せずに曳屋で現在地に移転をしたのにゃん。1970(昭和45)年国指定重要文化財に指定され、1996(平成8)年には環境庁の「日本の音風景百選」にも認定されたのにゃん。どうにゃん??札幌の人も少しは勉強になったかにゃん??元祖ブログランキング、人気blogRankingに参加しています。よろしかったら両方クリックしてください。