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カテゴリ:ギャンブル
年齢がバレそうですが、自分は昭和59年~平成9年ごろまで仕事の帰りや休日にパチンコ・パチスロを打っていました。
最悪なことに一発台(チューリップ台や権利台の釘を曲げて球がなかなか入らないようにした台)や権利台全盛期(スーパーコンビが流行していた時期)に東京(仕事場が新宿)に住んでいました。 新宿三丁目のチューリップ台専門店で会社の後輩と遊技していたら隣に居たパチプロに「ここを 狙えばこの台で稼げる」とアドバイスされたこもありました。 新宿歌舞伎町の怪しいパチンコ店で遊技したこともあります。 一番ビビったのは姫路駅前のパチンコ店で大当たりして近くの景品交換所で換金したときです。 会社の旅行で台湾に行った時にパチンコで100台湾ドル硬貨で連チャンして(当時の台湾のフィーバー台は出た数字の回数で連チャンする仕様でした。 777で7回、999で9回連チャンしました)ボロ儲けしました。 こんな自分が最後に遊技した台は「タヌ吉くん」、「フィーバークイーン」、パチスロは「アラジンA」「花火」「ホウ助(ヤク物の電チューが0.5秒開いて、そのときにヤク物のVゾーンに球が入れば大当たりする権利台)」です。 パチンコを打っていて「こんなに回転してもリーチが来ないし、リーチも演出だけで、つまらない。」と馬鹿らしくなって止めました。 競馬は今も賭けていますが、大負けするような大金は賭けていません。 絶対に「ギャンブル依存症」だった自分が、あっさりと止めれたのか?はいまだに不明です。 エリザベス女王杯(エリ女)、マイルCSは無視しましたが、来週の「ジャパンカップ」には 賭けます。 今日も競馬開催していますが無視です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月23日 15時56分29秒
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