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テーマ:猫のいる生活(139004)
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前回の日記を書いた数日後、両親と近所のデパートに食事に行った際、父が昇りエレベーターから転落してしまいました。
逆さまに落ちてしまい、起こそうにも起こせず、エレベーターは昇っていくので本当に焦りました。 幸い、上の階に着く直前に、店員さんが駆けつけてエレベーターを止めてくれましたが、頭が下になった父を起こすには、男性店員さんが3人がかりに。 もともと太ってはいないし、最近は随分と痩せた父なのに、頭が下になると起こせないものなのですね。 すぐに救急車が呼ばれましたが、救急車が着くまでの間、父はしっかり受け答えをしていたので、ちょっと安心しました。 幸い、怪我の具合は、頭や体は打ち身だけで、他には手を切ったくらいで済みましたが、梅雨の時期だったこともあり、毎日通院する事になりました。 それと、落ちた事のショックなのか、転落時の記憶が抜け落ちていて、救急車に乗るまでの受け答えも含めて、全く覚えていないのです。 だから、手の怪我も、どうしてしたのか分からないまま。説明しても、記憶がないので、不思議そうにしています。 認知症がひどくなるかと心配しましたが、そういう事もなく、毎日暑い中、父の通院に付き添う事になりました。 最初の数日はタクシーを呼んで行っていたのですが、「歩かせなくては」と思い、片道20分くらいの病院まで、時間をかけて歩くことに。 おかげで、半日はこれでつぶれてしまう事になりました。 そうこうしているうちに、今度は、父に悪性リンパ腫の疑いが出て、検査、検査の日々になりました。 右の鎖骨の下に出来ていたものが、左の脇の下にも出来て手術で摘出する事に決まったのが11月に入ってから。 12月早々に入院、手術になりました。 ところが、これを聞いてきたのが父に付き添って行った母で、母の話では、術後、放射線治療をするかもしれないというので、年内に帰れるだろうかと思いながら入院の準備に取り掛かったのですが・・・。 またまた突然、母がいつも通り深夜に下血、救急車で入院してしまったのです。 ひとりで、母の病院に通い、父の世話をして、改めて、介護生活の大変を痛感する日々になりました。 母は10日ほどで退院できたので、12月初めに父が入院する時はとりあえず、落ち着いた状況で取り組めることになったのですが…、そこで初めて、執刀医と話をしたら、母が手術について聞いてきたこととは全く異なり、まず、鎖骨の下は場所が悪いのでそのまま。脇の下も、腋下静脈のすぐそばなので、全摘は出来ないかも知れない、その場合、検査ができる程度の腫瘍を切除病理検査に回す。その結果を見て、今後の治療方針を決めるから、今回の入院は3,4日、というのです。 母が言っていた、放射線治療というのは、どうやら、母の希望的観測だったようなのです。 その時も、先生が「手術の翌日でも、問題がなければ帰れます」との言葉に、「翌日はちょっと」と言って、翌々日の退院を希望しました。 しかし、そのあと、私だけが呼ばれて、「認知症の患者の場合、術後に混乱が生じる場合があるから、早めに帰った方が患者本人が安心できる」と言われ、翌日の退院を決めました。 それを母に告げると、母は不満そうに、「もう帰ってきちゃうの?」と一言。 ところが、その夜、父は目を覚ますと、自分がどこにいるか分からなくなったらしく、廊下を歩いてしまったため、翌日、手術の前に病院に行った私に、師長さんから「夜中にある極まってしまい、同室(2人部屋だったので)の人だけでなく、他の患者さんにも迷惑がかかるから、個室に移ってもらいます」と叱られました。 手術は短時間で終わり、幸い、脇の下の腫瘍は全部取る事が出来たとの事でしたが、ナースから、「消灯まで付き添ってください」と言われ、ひとりで行っていた私は、そのまま9時まで帰れなくなりました。 そして、翌日は退院で、早い時間に病院に迎えに行き、父を連れて帰ってきたのですが、なんとも疲れる3日間になってしまいました。 しかも、手術の日、病院で胃が痛くなった私は、その夜、急性胃腸炎らしき症状でほとんど眠ることもできず、翌朝を迎えていたんです。 ノロでは?とも言われましたが、全く熱がないし、胃腸の痛みだけだったから胃腸炎だったようです。 しかし、疲れが出たのか、また昨年同様、咳が止まらなくなって寝込んでいます。 とはいえ、今年のクリスマス・イブは、妹や姪と一緒にコンサートに行くので、何としても治さないと(笑)。 そんなわけで、毎日、天然湯たんぽのチャトとモモと一緒に寝ています。 実は、チャトラン、この夏、家出をしたんです。 そのことは次回に…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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