カテゴリ:雑感
プロレスって、そんなに詳しくは無いのだが、あの迫力とかスピード感が好きで子供の頃からぼけーっとよく見ていた。俺のヒーローはスタン・ハンセンだった。多分、その頃はまだ、亡くなった橋本選手は中学生ぐらいで柔道やってたんだと思う。オレもそうえいば、高校生の頃、体格がちょうどいい、ということで国体三位の柔道部員、アベチャンの投げ技の練習相手に付き合っていたっけ。滞空時間の長い背負い投げがすっげー気持ちよかったっけ。
橋本選手のプロレスって、学生のころ、小石川の貧乏下宿で真夜中に音採りしながらTVの音消して、よく見てたというか、流してたというか、そうやって見たのが始まりだった。最初の頃は、なんだかブサイクなレスラーだなあ、と思っていたが、なんか、暴れまくる凶暴なデブと愛嬌のある笑顔のギャップが好きで、結構、好きなレスラーの一人ではあったんだよなあ。すくなくても三沢よりは全然好きだった。 橋本選手の故郷は岐阜県土岐市。 前職時代、オヤジさん(仕事上の上司だった方)の家が土岐市にあった関係で、橋本選手が毎日通った柔道道場の前のホルモン屋によく夕飯を食いに行き、橋本選手が子供の頃に毎日食ってたというレバ焼やモツ焼に舌鼓を打つ。「やんちゃ坊主でねえ・・・」と、橋本選手とは遠縁の店のオヤジの話を良く聞いた。 土岐市では、大変お世話になった老陶芸家の先生の家で、「この前ねえ、橋本君が来たんだよ」と、巨体の橋本選手の横で、橋本選手のチャンピオンベルトを腰に巻きながらも、実は橋本選手が横でベルトを支えている老先生の写真を拝見する。橋本選手は陶芸が好きで、結構繊細なものを作るんだよ、と老先生はおっしゃっていた。 そして、私の坊主の由縁の一つでもある大好きなレスラー、F組長の事務所で橋本選手の話を色々とマネージャーさんから伺う。そこでは、橋本選手とF組長のタッグは、実は遠征先で陶芸談義がきっかけで始まったとか、なかなか聞けない話まで伺ってしまう(これはもしかして、オフレコか?)。 たまたまといえば、たまたまなのだが、なんだか、まったくつながらない点と面のあちこちで橋本選手の話をよくお聞きした。これを偶然というか、縁というのか? まあ、偶然といえば偶然なんだろうけど、自分の中で、いつかは必ず会えそうな気がする人の一人ではあったからこそ、なんだか泣けてきたのである。 私のお会いした皆さん、橋本選手のことをすっごく好きだったんだよなあ。本当に飾らない、気さくで優しい方、というイメージが人づてだけど、すっごく感じられた。だからこそ、いつかどこかでお会いして、プロレスの事もそれ以外のお話も伺いながら、俺も橋本選手のファンになりたかった。 でも、もう二度とお会いできなくなってしまった。早すぎるよなあ。40歳って、俺とそんなに変わらないよなあ。今から6年経って、もし自分が死んだら、なんて考えたら なんか、無性に悲しくなってきた。橋本選手も小さなお子さんがいらっしゃるそうだ。さぞかし、心残りだったろう。 橋本選手、どこかでお会いしたかったです・・・。 男としての生き方や哲学、考え方とか、色々と聞いてみたかったなあ。 今は、ゆっくりお休みください。 皆さんが橋本選手の温かさを昨日今日で思い出しているのでは無いでしょうか。 ご冥福をお祈りします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月13日 02時07分06秒
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