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旅に出よう 思い出は語らず。

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2005.01.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
やっと、キャセイ航空で、ホンコン経由で、
バンコックと、シーラチャに、行き、我が家に、戻りました。
旅の途中に、カオラックへ、ボランテアに、行ってきた方の話を、伺ったので、とりあえず、書き込みます。

津波の衛星写真を、google で、見つけました。
あわせて、ご覧ください。
URL
タイトル
Tsunami Disaster in Asia, 2004
 (アジア、2004年の津波災害)

http://www.crisp.nus.edu.sg/tsunami/tsunami.html

成田の、1日足止めの、ことは、またいずれ、
2日に、
スクムビット43の、GORO で、
隣に座られた方から、(仮称)Iさんから、伺ったお話です。
カオ・ラックの病院で、
通訳のボランテアを、やられていたそうです。

Iさんは、年に、何度も、KHAO LAK(カオ・ラック)に、行かれていたそうです。
地震・津波のあった日も、クリスマス休日の日なので、
予約を、入れたが、入らなかったので、行けなかったそうです。もし行っていたら、危なかったそうです。

津波は、陸の、奥のほうまで、押し寄せたそうです。
病院で、通訳の途中で、日本語で、『助けて』というのを、聞いたという、聞き取られたそうです。
だから、日本人の被害も、もっと多いのではないかと、
2日の時点でも、言っておりました。


Iさんに、最初に、日本から
地震・津波があったが、大丈夫かという、友人が、の電話で、掛けてきてくれたので、知ったそうです。

そして、乗用車で、
握り飯を、用意して、
カオ・ラックに向かったそうです。
4号線が、津波の被害にあっていた、
通行できずに、手前から、地元の道に詳しい人の案内で、?
山道を通って、
向かい、深夜にカオ・ラックに、
着いたそうです。

カオ・ラックは、選れた、ダイビングポイントで、
多くの、ダイバーが集まっていて、
大部分が、長期に、こられている、
特に、スエーデンや、北欧の人が、多くいたそうです。

電話は、衛星電話の施設を、持っているツーリスト・ポリスのところのみ使えるような状況だそうです。
その辺の、携帯電話用に、アンテナは全部なくなっていて、
携帯電話は、使えなかったそうです。
固定の電話も、同じく使えなかったそうです。
Iさんは、ツーリストポリスから、病院で、外国人と、タイの病院スタッフの、通訳を、依頼され、28日から、1日まで、カオ・ラックの病院に、
居られたそうです。

多くの亡くなられた方が、まだ、多く、そのままになっていたときに、入られたそうです。


空港で、タイの新聞を、見ましたが、
亡くなられた方の、写真が、掲載されていました。

Iさんのお話でも、日本から電話を掛けてくる、日本のマスコミに対する対応で、仕事が出来ないことがあったこと、そして、むやみに、写真を、撮る観光客に、よくない行為だと、思ったそうです。

もし、ボランテアのために、プーケット方面に、これから、向かう方は、KHAO LAK(カオ・ラック)も、
一考のと思う。

よいダイビングポイントのいくつかは、
津波で、根ごと、無くなっていたそうです。

また、別のポイントは、無事のところもあり、
水深や、島影などの地形によって、
ダイバーも、珊瑚も、運命が分かれたそうです。

まだまだ、手伝う仕事は、あると、
伺ったのに、
帰ってきました。





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最終更新日  2005.01.05 21:56:29
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