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カテゴリ:江戸の名残を、今に残す芸や、文学
こんな読み方は、よくないのだろうが、
ふと、大正から、昭和にかけての、日本と、 現代の、タイを、重ね合わせながら、 この小説を、読んでいる。 最近、タイのバンコックでも、 地下鉄が走り、それでも、 地上の、駅の周辺は、 屋台街があって、 300軒も、店が、 バンコックの、あちらこちらにあって、 そんな、タイの、どっぷり、浸かっていると、 いや、もう、タイに、行くのも、 ままならなくなりつつあるが、 この、『あぶり繪』の舞台が、 かなり、現代の、タイに生き映し的に感じられる。 スマトラ沖の地震と、東京大震災、 細かく挙げると、 小説の、楽屋内を、不要に、 安解説をするようで、 出来ないが、 今は、なき浅草の、風情が、 よく描かれている。 まだ、手に入れたのは、上巻だけであるが、 後半は、どんなに高くても、 読まずには、置けない、 まだ、震災で、別れ別れになった、銀子の行方も知れないし、 玉の井、千束、築地などは、東京で、 やっと、自分で、場所が、少しだけ、浮かぶ場所で、 昭和初年の、東京は、まだ、売春防止法もなく、 遊廓や、銀座の、カフェーとか、 タイの、バンコックや、パタヤで、 今でも、起こっていることと、 似てると思う。 ある意味、見ること、読むこと、聞くこと、 みんな、タイを、思い浮かべる道具として使うのは、 よくないかもしれないが。 最近の、バンコックの、地下鉄事故が、 タイが遅れている雰囲気で、 タイを、扱う、ときに、耳にしたが、 どっちが遅れていて、 どっちが進んでいるかわからないことがある。 あまりに、時間厳守、 取り繕うことに汲々としていた、 ことに、着いてゆけなくなったのかもしれない。 それにしても、夜道を、歩く人にも、 会社帰りの人にも、 歩きながら、メールを、打つ人の多さよ。 上巻の最後のほうに、 男たらしで、娘をほったらかしにする、片親きりの母を持つ、 少女で、こましゃくれたマキが、昌平の家にやってきて、 その家に、住み込みで、昌平の世話をしてくれる中年の寡婦?のコウ、そして、 若い主人公の朝倉昌平が、 正月を、迎えている場面は、 ほろっとさせてくれる。 中年の、私と、若いタイ人の、彼女と、 その母親、そして、ほかの娘ふたりと、更に、その子供で迎えた バンコックで迎えたわたしの、五年前の正月は、 あれはあれで、わたしを、ほっとさせてくれたのかもしれない。 娘を頼むと、母親は、口に出しては言わなかったが、 その後、病院で亡くなったときことは、 偶然にも、その葬式へも、出られたのは、 その母親の引き合わせかもしれない。 そういう訳で、 多分読んでくれている人には、よくわからないこと だろうが、 まあ、この続きは、下巻を、手に入れてから、 ゆっくり書こうと思う。 ぜんぜん、話題は変わるが、 今日は、久々の休みで、 鷲宮の『パチンコ・ダイエー』の、新規開店に行った。 私も含めて、せつな的、ギャンブル熱は、 携帯のメールと同じように、この日本を、蝕んでいるのかもしれない。 薄絹をちょっとだけつけた、レーサークインばりの、 女性が、たくさんいて、 やはりすげーという感じであった。 そんな、光景に目を奪われた、私の戦歴は、黒星で終わった。 ふと、開店前の、予約客の、来ない人の、変わりに、入れる列に、 並んで、150番目のときに、 雲ひとつない、はるか上空を、1機の、軍用輸送機が、 南から、北へと向かって、飛んでいった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.04.27 01:49:57
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