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旅に出よう 思い出は語らず。

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2005.11.29
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先の、大東和戦争、いわゆる、太平洋戦争について、
あの戦争が、アジアの、当時、植民地になっていた国に、
役になった戦争である。
という、論を、結構耳にしていたが、
じゃあどのように、影響を、与えたのかというと、
ほとんど、関心ももたれずに、
ただ、一方的に、日本悪者論の、裏返しとして、
すべてが、アジアの民族自立のためを、目的とした戦争であった、
とか、こうなるとわけがわからなくなってくるが、

きょう、この本を、読んで、
少しは、
あの戦争が、どう影響して、
独立が早まったか、
もっと、それ以上に、
苦難の中で、
独立を、得たのかが、
少しだけ、知った.

あの時、世界は… 磯村尚徳・戦後史の旅I
内、3話の中から、
進め デリーへ! -インド独立のかげに-

勝手に要約すると、
スパス・チャンドラ・ボーズのいう、インド独立にかかわった
慰霊碑が、杉並の、連光寺にあり、
ネール首相を、はじめ、
インドから、日本を訪れる、要人が、みな、
このボーズ碑を、訪れているという.
昭和54年出版の本
ボーズは、インドの、裕福な家に生まれ、
英国に留学して、
インドの独立運動に目覚め、
あの、非暴力運動で、有名なガンジーから、
遅れること、30年、
一時は、ガンジーと、いっしょに、独立運動を、
行ったが、途中から、決別して、
ドイツ、日本を、頼んで、
シンガポール(当時は、日本では、昭南島と呼ばれていた)に、自由インド仮政府を、創設、結局、日本および、日本軍が、扱いを、正式な政府と扱うことを、せずに、南方対策として、行ったために、その後の裁判で、日本の傀儡政権と、
みなされたが、インド国民は、3人の被告の、無罪を主張して、運動をして、
そのため、一度は、有罪で、無期懲役の刑が、言い渡されたが、
実際には、執行はされなかった.開放された。
インド独立後は、英雄となり、
ボーズは、ネール、ガンジーとともに、議事堂を、飾る国民的英雄として、名誉を、取り戻した.

統治国英国に、ラジカルな戦いを、して、
とくに、
戦況が、悪くなった、ビルマにいた日本軍とともに、
自由インド仮政府として、

自国インド(英国の植民地であった)へ、INA(インド国民軍)を、すすめた。
その後、日本のポツダム宣言受諾時に、
台湾経由で、ソ連に、逃れようとして、(インドの英国支配を、終らす戦いのために)行く途中、台湾で、飛行機事故で、亡くなった.

いわゆるインパール作戦


すくなくとも、インドは、インド人自身で、
死も恐れない戦いで、自分自身の手で勝ち取った、
独立であるが、

どうも、私も含めて、
安易に、あの戦争が、
実は、アジアの独立に、役立っていると思い込みたいのだが、

そのごの、INA(インド国民軍)に対する
軍事裁判の光景は、

それと、相前後して行われた、
極東軍事裁判、「東京裁判」と、
国民の思い入れが、異なる.

ふと、いまからその当時、
国体の御持といいって、
守ったその国体っていったいなんだったのか、
今はどこにあるのか、
間違っているかもしれないが、
天皇制のことを、言っているのかもしれないが、

思えば、遠くに来てしまったものである.
最近、
お隣の国、中国や、韓国のことで、いろいろあるが、

すこし、この問題を離れて、
東南アジアや、インドに、目を向けるのもいいのではないだろうか.

短兵急は、日本人、中国人、韓国人、
それぞれに、形を変えて、持っているが、

私も、もう少し、遠くを、見る目を、持ちたいものだ。





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最終更新日  2005.11.30 05:02:13
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