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カテゴリ:けん3の、東南アジア事始
先の、大東和戦争、いわゆる、太平洋戦争について、
あの戦争が、アジアの、当時、植民地になっていた国に、 役になった戦争である。 という、論を、結構耳にしていたが、 じゃあどのように、影響を、与えたのかというと、 ほとんど、関心ももたれずに、 ただ、一方的に、日本悪者論の、裏返しとして、 すべてが、アジアの民族自立のためを、目的とした戦争であった、 とか、こうなるとわけがわからなくなってくるが、 きょう、この本を、読んで、 少しは、 あの戦争が、どう影響して、 独立が早まったか、 もっと、それ以上に、 苦難の中で、 独立を、得たのかが、 少しだけ、知った. あの時、世界は… 磯村尚徳・戦後史の旅I 内、3話の中から、 進め デリーへ! -インド独立のかげに- 勝手に要約すると、 スパス・チャンドラ・ボーズのいう、インド独立にかかわった 慰霊碑が、杉並の、連光寺にあり、 ネール首相を、はじめ、 インドから、日本を訪れる、要人が、みな、 このボーズ碑を、訪れているという. 昭和54年出版の本 ボーズは、インドの、裕福な家に生まれ、 英国に留学して、 インドの独立運動に目覚め、 あの、非暴力運動で、有名なガンジーから、 遅れること、30年、 一時は、ガンジーと、いっしょに、独立運動を、 行ったが、途中から、決別して、 ドイツ、日本を、頼んで、 シンガポール(当時は、日本では、昭南島と呼ばれていた)に、自由インド仮政府を、創設、結局、日本および、日本軍が、扱いを、正式な政府と扱うことを、せずに、南方対策として、行ったために、その後の裁判で、日本の傀儡政権と、 みなされたが、インド国民は、3人の被告の、無罪を主張して、運動をして、 そのため、一度は、有罪で、無期懲役の刑が、言い渡されたが、 実際には、執行はされなかった.開放された。 インド独立後は、英雄となり、 ボーズは、ネール、ガンジーとともに、議事堂を、飾る国民的英雄として、名誉を、取り戻した. 統治国英国に、ラジカルな戦いを、して、 とくに、 戦況が、悪くなった、ビルマにいた日本軍とともに、 自由インド仮政府として、 自国インド(英国の植民地であった)へ、INA(インド国民軍)を、すすめた。 その後、日本のポツダム宣言受諾時に、 台湾経由で、ソ連に、逃れようとして、(インドの英国支配を、終らす戦いのために)行く途中、台湾で、飛行機事故で、亡くなった. いわゆるインパール作戦 すくなくとも、インドは、インド人自身で、 死も恐れない戦いで、自分自身の手で勝ち取った、 独立であるが、 どうも、私も含めて、 安易に、あの戦争が、 実は、アジアの独立に、役立っていると思い込みたいのだが、 そのごの、INA(インド国民軍)に対する 軍事裁判の光景は、 それと、相前後して行われた、 極東軍事裁判、「東京裁判」と、 国民の思い入れが、異なる. ふと、いまからその当時、 国体の御持といいって、 守ったその国体っていったいなんだったのか、 今はどこにあるのか、 間違っているかもしれないが、 天皇制のことを、言っているのかもしれないが、 思えば、遠くに来てしまったものである. 最近、 お隣の国、中国や、韓国のことで、いろいろあるが、 すこし、この問題を離れて、 東南アジアや、インドに、目を向けるのもいいのではないだろうか. 短兵急は、日本人、中国人、韓国人、 それぞれに、形を変えて、持っているが、 私も、もう少し、遠くを、見る目を、持ちたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.11.30 05:02:13
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