ここ、10日アマリの間に、北埼玉のあちらこちらを、車に乗って、走り回った。
そうそう、私の仕事が,急に変わって,このように、地元のあちらこちらを,飛び回ることになったのである。
そのうち、新しい仕事に関しては、もうすこし内容が、わかってから、機会があったら書いてみたいと思う。
今日は別に、お水を、話題にしたいと思う。
北関東の中でも、さいたまの北、わたしが、仕事をする、田舎は、
水に関するネーミングの町が多い。【菖蒲】、【蓮田】、【さきたま(埼玉)】、【北川辺】などである。
たぶん、名前が、付けられた大昔には、水が、今以上に、大切なもので、それこそ生き死にを、
左右する関心事だったのでしょう。
見沼代用水というのも、たぶんそんなあなかのひとつだったんであろう。
菖蒲の町を、少し離れたところに、『見沼領土地改良区』の事務所がある。
江戸の町、今で言う、東京湾に入った荷物は、船を使って、この辺まで運ばれたようだ。
何日も、時間をかけて、川の水位を、関の開け閉めて、コントロールして、下流から、川の流れとは、逆に、上流にある、町まで運んだという.
この事務所の展示コーナーには、その関の様子や、昔の用水の古い地図があったりする。
また、掲示板には、8月に行われる関のコントロールするシュミレーションというか、デモの案内が貼ってあった.
もう一枚、陛下が、さいたま市にある関に、ご訪問されたときの記事が、展示されていた。
案内役は、大宮市・市長ではなく、さいたま市の市長と、水の何とかという、会の会長、橋本龍太郎であった。
コラート高原のことを、グーグルで、探していたときに、次のタイの河川に関するページを見つけて、
そういえば、日本でも、同じように、田んぼの中に、溜池があったり、
運河、まあ、普通は、用水といっているが、いまでも、町を外れたところには、今でも残っているんだなあと思い、
それと、いまでは、新鮮な魚が、その日のうちに、市場から、トラック便で、運ばれて、こんなあ田舎の居酒屋でもたべられるようになった。