|
カテゴリ:カテゴリ未分類
朝、9時に、中ちゃんの墓参りに、菖蒲に行ってきた。
そのあと、エアコンをカケはなしの部屋で、 古本を読み、軽くパチンコ、 そして、お気に入りの焼き鳥&喫茶店にいったが、 代替わりをしていて、喫茶コーナーは、閉店していた。 残念、とんかつのお店『ふくよし』で、L判のロースカツ定食を、 いただいて帰ってきた。 古本の小説や、旅行記、などを読みながら過ごすのが一番安上がりな 休日の過ごし方だろう。 中ちゃんは、オートレースが好きで、 そのほかの、ギャンブルにも一家言を持ち、 ノンベイだが、物事にとらわれない印象の人であった。 今思うと、そんなに付き合いがいいと、大変じゃあないかと、 思ったが、それよりも、具合が悪くなっても、 医者に行かなかったのが、命取りになったのだろうか。 町田さんとは、違った意味で、色々お世話になった。 考えてみると、わたしは、お世話になるばかりで、 誰にもお返しをせずに、生きてきたんじゃあないかと思う。 とまれ、容を変えて、少しでも、誰かに、返せるときに、 お返ししようと思う。そうはいっても、親しい後輩も、 ほとんど付き合いもなくなってしまったが。 とおくとおく、まわりまわって、いつかは、 かえせるとよいなあ。 話は変わって、今は、田舎周りである。 少しずつではあるが、農業の抱えている(もちろん、埼玉の北のはずれのみに限定してだが)問題や、状況、変化、、将来も、少しずつ見えてくる。 安易に、国際化だとか、逆に、保護だとかではなく、 農業の担い手が、どんどん高齢化して、 経済の範囲外で、こぼれ始めている。 米国では、社会的に成功したり、大統領でさえが、 牧場という田舎に、帰っていく中で、 都会で成功したり、仕事を引退して、 利根川の堤防の近くで、牧場をやったり、 バラを作ったり、竹炭を焼いたりの生活に、魅力を、 見出す人もいないだろうか。 このまえにいった、堤のそばの、そこでは、 竹炭の釜のそばには、素焼きの陶器窯が、つかわれずに、 誰かが、やってくるのを待っていた。 アイデアひとつで、それと、多少の資金を提供できれば、 自給自足で、田舎暮らしの車輪が、回りそうであるのですが。 こんど、そこに行ったときには、写真を撮ってきて、 さらに、その窯を、ほとんど無料で、もちろん、燃料代と、 粘土代は実費で、お貸し願える方法を、尋ねてみようと思う。 すこし、むしがいいかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.08.16 22:15:59
コメント(0) | コメントを書く |