自慢のできる商売の道がある
「本ものの生き方」 金さえ儲かればよいそれが商売というものだとこう思いこんであたら生がいをアクセクと過ごしてしまってはいないだろうか。―――なにがしかの生計の資を得たいばっかしに あなたは今日も ペコペコと頭を下げ 表(うわ)べだけの笑顔をつくり モミ手しながら 嘘八百の説明をして 僅かのゼニをお客から奪おうとしているそういう商売の仕方を恥ずかしいことだとは思わないのだろうか!もし商売というものが自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして僅かのゼニをつかむだけのものであるなら、今日を限りそんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。 親子五人 モク拾いしてでもよい ニコヨンになってでもよい。 モット生きがいのある。 モット誠実にくらせる そして モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ!―――だが、私は信ずる、あなたがいよいよ今日死ぬという間ぎわにあなたの子供たちを集めて「お父さんは立派な商人だったよ」とハッキリと、自慢のできる商売の道がある―――ということを。岡田 徹 『岡田 徹 詩集』岡田 徹さんは以前「人の心の美しさを満たそうよ」という詩で紹介しているのでプロフィールは省略。 ニコヨン1949年6月、東京都の失業対策事業として職業安定所が支払う日雇い労働者への定額日給を240円と定めた。そしてこの百円2枚と十円4枚という日当から日雇い労働者のことをニコヨンと呼んだ。人を騙すのが商売と考えている人がたまにいるようだ。そうまで思っていないにしても、何とかうまくごまかして、利益を多くしよう、と考えている人たちはたくさん入るような気がする。また買ってもらいたいという欲望ばかり大きくなり、自分を押し殺して、卑屈になってしまう人もいるようだ。でもそうではない!そんな商売のやり方を岡田氏は、自分の心に自分自身で糞を塗りつけていると手厳しい。もし商売というものが自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして僅かのゼニをつかむだけのものであるなら、 今日を限りそんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。 本当にそう思う。これが商売というものなら止めてしまった方が晴れ晴れする!モク拾いでは生きていけないだろうが・・・笑(モクはタバコ。私は若かりし頃、モヤって呼んでましたけど・・・北海道弁?笑)顧客が必要とし、喜んでくれるものを提供すればいい。当然、適正な利益をいただく。これは卑屈にならなければいけないことではない。消費者の立場で言えば、そりゃ安ければ安いほうがいいに決まっている。でもそれは同じ品質の場合だけ。品質が違うのであれば、その違いに納得できるのであれば、お金を払う。高くてもいいものを求める人は必ずいる。反対に、品質なんてどうでもいいからとにかく安く!という人もいるだろう。(今は、こういう人が多いのかもしれない。大多数?それは分からないと思うが・・・)こういう人をお客さんにしたいのであれば、とにかく安くすることを考えればいい。人を減らしたり、材料を安いものに変えたりとしていく。その場合、安くなった理由で、言いづらい事をはっきりと顧客に言うべき。材質を変えたので長持ちはしないだろう、と思うのであれば正直に言ってしまおう。嘘八百は絶対ばれる。お客さんは馬鹿じゃない!でも顧客が安さを求めるからといって、限界を超えてはダメでしょう!安全だとか安心という最低限のところは守らなきゃいけない。 モット生きがいのある。 モット誠実にくらせる そして モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ! 誠実って立派な事のお題目ではないと思う。その方が自分が楽にもなるし、気持ちがいいし・・・大きな声では言えないが、実際、(その方が儲かると思うョ。) なんでちっちゃい声で喋ってるのかはわからないけど・・・笑 モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ!