早急に是非を論ぜず、歩みを遅らせるがいいだろう。
さてこのことを常に君の足の鉛として、 見当のつかぬ事柄については早急に是非を論ぜず、 疲れた人のように歩みを遅らせるがいいだろう。良し悪しをいうにせよ是非を論ずるにせよ 細かい判断もなしに肯定否定を行う者は 愚か者の中でも下の下たる者だ。だからはやまった意見はとかく 狂った方角へ曲がりこむ。 その上、情が知にからむ。真理を漁ってそれを取る技を心得ぬ者は、 来た時と同様手ぶらで帰るわけにはゆかぬというので むやみと岸を離れたがるが、それが危険なのだ。 (中略)まだ穂が実りもしないうちに畠に出て 穂の数を勘定するような、あまりに安んじて、 判断を下す人間にはならないでくれ。 (後略) トマス・アクイナス 『神曲』天国篇第十三歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳トマス・アクイナス(Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年)中世イタリアの神学者・哲学者。ドミニコ会士。『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者。上記の表記はラテン語で、イタリア語ではトンマーゾ・ダクイーノ (Tommaso d'Aquino)。ダンテの神学論、天国観はトマスに連なっていて、尊敬する師から教えを受けている形をとった。(この実在の人物をダンテが『神曲』という物語の中に登場させた。 上記の言葉は登場人物として、ダンテが言わせた言葉。念のため)昔、教科書ではアキナスだったと思ったんだけど・・・昨日に引続き『神曲』。状況としては、トマス・アクイナスの言葉をダンテが思い違いをし、不審がった。それはどういうことかの説明があり、君の考えと私の言葉とは調和するはずだ。 という言葉に続いて、人間が是非の判断を下す際にあらかじめ取るべき慎重な態度について注意したもの。冬に棘ばかりの枝に咲いたバラや順調な船足で航海を終え港に着く寸前で沈没した船など、詩的な(全部が詩なので変な表現になるが・・・)美しい例えが続く。まだ穂が実りもしないうちに畠に出て 穂の数を勘定するような、あまりに安んじて、 判断を下す人間にはならないでくれ。 さすがに穂が実る前に勘定しようという人はいないだろうが、うまい表現。日本語でいうと「取らぬ狸の皮算用」と同じ。真理を漁ってそれを取る技を心得ぬ者は、 来た時と同様手ぶらで帰るわけにはゆかぬというので むやみと岸を離れたがるが、それが危険なのだ。これも漁(あさ)ってという言葉での漁師の連想と岸を離れるという表現で関連性を持たせてる。手ぶらで帰る・・・とは肯定否定の判断を決めないわけには行かないということ。判断を下す事に一生懸命になりすぎて結論を急ぎすぎることは危険だという。“詩”なので教訓としてはまだるっこしい感じがするが、風情があっていいしょ。細かい判断なしに肯定否定してしまうのは愚者の中でも下の下だという。あまりに安んじて、判断を下す人間にはならないでくれ。肯定否定、是非を決める際には慎重に考え、軽々しく判断してはいけない。気をつけよう! “カロンとアケロンの川”(地獄篇第三歌)ギュスターヴ・ドレ “ミノス”(地獄篇第五歌)ギュスターヴ・ドレ“ステュクスの沼-船頭プレギュアス”(地獄篇第八歌)ギュスターヴ・ドレ「地獄の見取り図」ボッティチェッリ