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カテゴリ:Just Chitchat
上の写真はNYの家の最寄り駅ですが、まだ東京にいます。 昨日、未だ冬眠中の精神が目覚める気配を見せない私に、知り合いの老紳士が、モルディブ旅行をプレゼントしてくださった方だが、「君の旅行費が浮いたから、それで美味しいものでも食べましょう」と誘ってくださり、とても美味しい日本料理をごちそうになりいろいろな話をしたが、その時頂いた日本酒が原因。私は日本酒があまり体に合わないようだ、家に帰って来てから体調を崩し、そのまま仕事に取り掛かり寝られなかったことも手伝って、今日は終日ベッドの上で過ごした。 とにかく年末には欧州行きを決めていたので、今年の計画が全てなくなった今は独立していることだけが救い、何とか仕事だけは最低限でもこなしているが、おかげで昨夜は徹夜だった。こんな「夜明けのコーヒー」は体に悪い。なので最近では「朝の太陽を浴びてカモマイルティー」、全く色気などなくない。けれどもまたいつどこへ逃げ出すかも分からないので、その時になるべく迷惑を掛けないようにしておかなければならない。 本当は、半年も前に一度行っておくべきだった。時間を戻せるなら、と振り返らずにはいられない。その頃は仕事が忙しく、またヨーロッパへ行くことは最終目的だった為、下見のつもりで訪れるつもりだった2月までは、何とか終えるべき仕事を全てこなしてしまおうと必死だった。 私はいつでも、何に対しても「決して焦らず、落ち着いて」という姿勢で生きてきた。そんな自分の性格を短所と思ったことはなかった。でも結果、それによって大切なタイミングを逃すことになってしまった。もしそのタイミングを間違えなければ、結局結果が今と同じだったとしても、こんなかたちで終わることはなかっただろうにと反省している。人生の中で「ここだ」というタイミングは何度となく訪れるのだろうけど、誰もがその全てを掴めるわけではない。人生はギャンブルだ。ただ、カードゲームは得意でも、同じように行くわけがない。勿論それでも自分の人生は好きだ。 と落ち着いて考えているようだがやはり私にとっては大きな決断だっただけに「もう済んだことよ」と笑えるようになるまでにはまだ時間が必要だ。でも何故そこまでこだわってしまうのか? どなたにもあるのだろうと思うが、私にも、子供のころから周期的に見る夢がある。エレベーターを上って上って屋上に着くと、そこは、行ったこともない、見たことさえないヨーロッパのある国なのだ。その国名だけは幼い私でもしっかりと記憶していた。私の祖父は多くの国へ行った人で、旅先から必ずポストカードを送ってくれたが、その国から届いたことは一度もなかったし、私との接点はまるでなかった。なのに、ずっと同じ夢を見続けて来た。 それが、去年あるきっかけからその国へ行くチャンスが訪れた。 そう認識した時の気持ちはきっと、一生忘れないだろうと思う。運命が私に、長い間この夢を見てきた意味を教えてくれるのだろうと思ったのだ。私の人生が、本当にきらきらと輝いているように感じられた。雪解けの、流れの速い小川を思い描いた。私はこれから創られる自分の道を信じることにして、それにfaithfulに生きてきたつもりだった、が。 気がつくと、全ては春の雪みたいに地面につくなり水に変わり、跡形もなく消えていた。全ては私の責任なのだ。でも、それでも尚今のこの状況を「受け止めている」とか言いながら、実はちっとも受け入れられていないのだった。 今日、NYの友達が私に、 "Lady, your're a real woman. Never lose your confidence." (おまえはなかなかの女なんだから、自信を失くすな) 最高の賛辞をくれた。友情は温かい。が、real womanが聞いて呆れる。1日中パジャマを着替えもせず食事もせず、ベッドの上で枕を抱き、寝返りを打っては溜息をつき、これまでのことを悔やんで勝手に絶望しているのだから。こんなみっともない自分は初めてだ。終わりが見えないだけに、疲労感もガツンと来るより、何だかだらだらと続いていくのかも知れない。今は打開策を考える気すらない。きっと遣り過ごすしかないのだ、どこかで好転するきっかけを待って。 もっとも、そう簡単に諦められるのなら、私の決心もそう大したものはなかったということになる。だから、苦しむだけの価値はあるのだと思うことにする、少なくとも今日は。明日の今頃はまた凹んでいるのかも知れないけれど。 simply #nowplaying お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 10, 2011 02:03:31 AM
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