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2003年08月31日
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竹内洋著『教養主義の没落』(中公新書)について、書きたいことはたくさんあるのだが、職業的興味から、とても唸らされたのが、第四章「岩波書店という文化装置」である。1881年、長野県の諏訪郡に生まれた岩波茂雄が、どのような学校階梯を経て、経験と人脈と教養と身につけ、その後の生業としての版元を成立させたかについて、教育社会学的視点から、とてもうまく説明されている。あえて術語を使うと、社会関係資本と、文化資本の戦略である。岩波書店が、学術書籍中心の版元だから、そういう分析が通るのでは、と考えるのならば、1878年に群馬県の桐生に生まれた野間清治が、「大日本雄弁会」、後の講談社を立ち上げて、その独自のポジショニングを活かして社を展開してゆくなかで、やはり、講談社にしかならなかっただろうという分析を読んでみるとよい(146頁~147頁)。俗な言い方で、「編集者とはかくあるべし」というテーゼは、数多い。しかし、その多くの教訓は、上記の「社会関係資本・文化資本の増大」に帰結する内容でしかない。もし、今後、出版業界に就職したいという方にこれから相談を受けたなら、私は、竹内先生のこの新書の第四章をよく読んで、その意味するところを熟考しなさい、と答えるだろう。と同時に、これからしばらくは、自分を省みて、なんとも困ったものだと、身につまされる日々が続くだろう。





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最終更新日  2012年04月10日 08時45分17秒
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