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有田焼の祖・李参平翁の顕彰碑: その英語訳は、小職・末次賢治が担当しまして、 有田地区に、原文の日本語と 私の英語訳&他の方の韓国語訳が 顕彰石碑と成っています: お近くにお出での際は、どうぞご覧下さいませ。 小職も近々、改めまして、現地に訪問したいと思っております。 <兵法・英語二刀一流>末次通訳事務所・末次賢治拝 Jun.19/2021
○私が担当しました英語訳です:<有田焼の開祖、李参平翁の顕彰碑の説明文英語訳> 16年前(2005年の晩春)のものですが、現在も、有田の「李参平翁」碑に、 私の英語訳と韓国語と日本語で、李翁の功績の説明がされています:
「陶祖・李参平公」碑文 Epitaph for Lee Cam Pyung, Pioneer of Arita Porcelain (epitaph⇒碑文)
有田焼の祖である李参平公は、朝鮮国(現在の韓国)忠清道金江の出身といわれ、 1592年に豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した時、鍋島軍に捕らえられ道案内などの協力を命じられたものと推定される。
Lee Cam Pyung, the pioneer of Arita Porcelain, supposedly came from Kumgabg, Ch’ungch’ong Province in old Korea (South Korea). In 1592 when Toyotomi, Hideyoshi sent his forces to Korean Peninsula, Lee Cam Pyung was taken prisoner by the troops of Nabeshima, Naoshige. Lee Cam Pyung was supposedly ordered to support the troops and work as a guide for them in Korea.
李参平公は、佐賀藩祖鍋島直茂公が帰国の時、日本に連れて来られた。後に帰化し、出身地に因んでその姓を金ヶ江と名乗った。
When Nabeshima, Naoshige, the first lord of Saga Clan, returned to his territory after the battle, Lee Cam Pyung was taken to Saga with him. Later, Lee Cam Pyung was naturalized as a Japanese and named his family name “Kanegae” after his Korean hometown.
初めは、参謀の多久安順に預けられ、小城郡多久村に住み、手慣れた焼き物の窯を起こしていたが、良い土に恵まれず、領内各地を探し歩いたという。
At first, put in the custody of Taku, Yasuzumi, an executive of the Lord Nabeshima, Lee Cam Pyung stayed in Taku Village, Ogi Gun and built a kiln. Lee Cam Pyung was not satisfied with the quality of local clay, and so he often travelled around Saga Clan to find the best quality clay for porcelain.
1616年ごろ、松浦郡有田郷三代橋に来て窯を築き、ついに泉山で最良の原料となる磁石を発見すると、上白川に移り住んで、純白の磁器を造り出した。これによって、日本で初めて磁器が焼成されたと伝えられる。
Around 1616 when Lee Cam Pyung built his own kiln at Midaibashi in Arita District, Matsuura Gun, he finally discovered high quality kaolin, the best material for porcelain, in Mt. Izumiyama. Then, Lee Cam Pyung settled in Kami-Shirakawa and started to bake fine white porcelain for the first time in Japan. This fact marked the start of the history of Japanese porcelain production.
その後、この製造技術は、多くの陶工によって綿々と引き継がれ、有田焼の今日の繁栄に至った事は周知の事であり、李参平公は、有田の陶祖であるだけでなく、日本の窯業界の大恩人である。
Since then, as this is well known, Lee’s porcelain production technology has been handed down unbrokenly by many excellent local potters for centuries, bringing a great prosperity to the current Arita Porcelain Industry. We admire Lee Cam Pyung not only as the pioneer of Arita Porcelain Industry, but also as the great benefactor to the whole Ceramic Industry in Japan.
今なお、陶磁器関連の諸事業に携わっている人々は、この先人の残した恩恵に感謝し、心からその功績を敬い慕っている
Even today, a great number of people in pottery & porcelain related industries really appreciate the benefits this great pioneer left to us, and worship his great achievements from the bottom of their hearts.
ここに「2005年日韓友情年」を祈念して、日韓両国民の真の理解と友好親善が更に発展すると共に、この素晴らしい交流の歴史が末永く後世に伝えられる事を願う。
In commemoration of Japan-Korea Friendship Year 2005, we wish for the further development of bilateral understanding and friendship exchange between the nations of the two countries, and also wish that the history of this beautiful bilateral exchange will be handed down to the future forever. April 2005 Lee Cam Pyung Honoring Committee お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.23 09:10:44
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