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カテゴリ:音叉 第2楽章
どうしてこっちで書くのか自分でも疑問に感じているが、専門に作ったBlogに書くとなぁんかめんどっちい事になる気がした。
気軽にただ呟きたかった程度の心積もりなんだけど、だけど、この二つの作品は「愛して愛して愛しちゃってしょうがない人々からは本当に本当に大事にされている」から、テケトーな感想をテケトーなノリで書く事は絶対に避けるべしなので緊張するのだった。 ・・・・・・・・・・・敢えて整理もせず、軽く呟くのでどうか大目に観て下さい。 そして、RENTを知らない人やHEDWIGを知らない人には何の事やら多分さっぱり判らないだろう不親切な内容です ペコリ(o_ _)o))。 共通点 ■オフからブロードウェーに上がり、後に映画化されている ■人間の愛や性や生命を見つめた作品である ■芸術(それもどちらかと云えばアンダーグラウンドアートである)をストーリー進行の促進材に用いている ■二人のドラァグクイーンはどちらも天使である。性格や個性、成り立ちはかなり違うけど。 ■活動の場=場末だった過去から表舞台へ向かう経過が伺える。一方はスキャンダルを経て,一方はむしろ作品を取り巻く現実世界で。 ■「アメリカ」が結構効いている ■日本では大メジャーな作品ではないが、世界中の多くの人々からは熱狂的な支持を得ている ■そして、世界中の多くの舞台でその国のキャストにより上演されている ■熱狂的支持者【HEADS】の存在はあまりにも有名 ■提供側(主にキャスト)に両作品とも縁のある人が多い ■全然違う色なのだけど、言っている事はかなり似ている作品だと思う。だけど、RENT HEADS または HEDHEADS にとってはオンリーワンなのよね。どっちも熱狂的に好きというHEADSはあまり居ないのではないか。むしろ片方しか語らないだけなのかな。 オリジナルRENTのマーク役、アンソニー・ラップが「Origin of love(HEDWIGのメインテーマ的楽曲)」を歌った事を知らない人も中には居たけど、彼がこの歌を歌うのって、凄く納得できると思った。 一方、オリジナルHEDWIG AND THE ANGRYINCHのヘドウィグ役で作者であるジョン・キャメロン・ミッチェルにRENTのエンジェル役のオファーが来ていた事を知りびっくりしていた人も居るが、これも何となく納得は出来る(あたしは既にどっかで読んでいた)。 どっちの作品の主要キャストをも務めた山本耕史だが、どっちの作品にも同じ役者が出ていたというのは、多分日本だけではない話ではないか(オリジナルを除いてね)。 なんとなく、そんな気がする。 何が言いたいとかじゃなくて、本当に呟いただけの話です。 ジョン・キャメロン・ミッチェルが来日して、耕史君の連載で対談(TV Navi)していたのを読んで、不思議な感じがしたのだ。 「似たような」感じの「(あくまでも)似たような」事をテーマにした作品は世の中に沢山あるけど、このニ作品は何となく繋がってる感が強い。 作風はちっとも似てないけど、一方でかなり似てたりする。 しいて云えば、【RENT】はSEXとかストリッパーとかドラッグとかパンク(てゆーか前衛的パフォーマンスか)とか出てきても、あくまでもストイックで清潔な印象が強く、そしてどんなに場末の路地裏で貧乏話をしていても生活臭が実はあんまりしない。そして全面的にあからさまに知性的で、その分ちょっと青臭く感じたりする。 また、エンジェルとコリンズ以外の主要キャストはいっつも迷ってる。不安定に苦しみながら、糧の為に生産する事にも迷ってる(時に、楽に生活する方法を放棄してまで)。揺れながら寄り添っていく集団の群像劇でもある。 一方、【HEDWIG AND THE ANGRYINCH】は、東ドイツでの生活から渡米後も、ナマナマしい程生活力を漂わせている。貧困であっても逞しさは失われていない。母親も同様に。 東ドイツから逃げ自由の国に向かう為に性も環境も変え、普通であればアイデンティテイーの崩壊に繋がりかねない道行きを経ながらも、迷っているようで実はヘドウィグ自身は迷っていない。苦しんだり悲しんだりしなければいけない原因がヘドウィグに起因していない分、彼女(彼)自身に穢れは一切感じないのよね。 一見眉をしかめてしまいたくなる人も居るだろう猥雑な行為や破廉恥な言い回しも 「そんな事くらいなによ、これやってなきゃ生きていけないのよ」ってことだよなぁと・・・・生きていく方法や手段に悶々とする余地が無い事を受け入れている分、ヘドウィグは実はとってもシンプルだと思う。そう生きざるをえなかった環境の善悪はまた別の話ね。 ここがRENTの青年達の若さに比べて一番違うとこで、だけど、ここがエンジェルとヘドウィグに共通している点かなと、ちょっと思ってる。 で、つらつらつらつら書いてきた意味の無い呟きですが、つまりは、だからこそ、エンジェルはやっぱりJ・C・ミッチェルよりもヒスパニック系として判りやすい顔立ちのウィルソン・ジャーメイン・ヘレディアで大正解だったんじゃないだろか、と、今月のNavi観て思っただって話です。 それ以前に、もう今では誰もがあのオリジナル・エンジェルはジャーメインじゃなきゃって思ってるだろうけど。ジャーメインのエンジェルってば、本当に大好き。 (しかしイツァークの件は簡単に呟くのは難しいね。一先ず省略して逃げる) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 25, 2007 05:32:18 AM
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