カテゴリ:ケロ日記
1月に父が肺炎で入院しました。
その時は先生から「薬が効くまで、体力が持てばいいんだけど・・・。」と、言われました。 もしも、の時に延命処置(人工呼吸器)をするのか、自然な形で逝かせるのか、選択をしなければならず、家族で話し合い、延命処置はしないという決断をしました。 とは言うものの、容体は落ち着いていて(酸素マスクはずっと外せませんでしたが)、また良くなって施設に帰れるものだと思っていました。 3月17日に母が『おじいちゃんの呼吸が今朝からずっとおかしく、心配なので仕事帰りに寄ってくれる?』と、店にいる私に言いに来たのです。 母が泊まり込むというので、私は母の分のお弁当も買って病院に行くと、今まで聞いた事がないような苦しそうな、荒い呼吸をしていました。 熱も39度あるそうで、目の焦点も合っておらず、意識があるのかないのか解らない状態でした。 でも、看護師さんは耳は聞こえていると思うから声をかけてあげて下さいとおっしゃっていたので、母と代わる代わる話かけていました。 母は私を気遣って、疲れているから帰って寝なさいと言ったのですが、看護師さんの「血圧が下がってきています。」の一言で、本当に危ないんだと悟り、母と一緒に病室にいる決心をしました。 日付が変わる頃には呼吸が落ち着いてきて、母は良くなってきたと安心していたようですが、実は逆だったんです。 呼吸が弱くなってきて、一度息が止まり、看護師さんが「息をして!息をして!」と父の体を叩いて、母と私も一緒に声をかけて、一時は息をするようになったんですが・・・それは大変弱々しく、深呼吸をするようにゆっくりと・・・絶え絶えになり・・・亡くなりました。 母が取り乱すんじゃないかと心配しましたが、母は意外に落ち着いていて、父に語りかけるように「私を残して逝ってしまったね・・・。早く私を迎えに来てね・・。」と言って父の顔を撫ぜていました。 最期に母と二人で看取る事ができて良かったと思います。 一昨日、仕事帰りに来た時は、普通に寝ていて、声をかけても起きないので、そのまま帰ったのですが、その時はこんな事になるなんて思ってもいませんでした。 あの時、無理矢理にでも起こして、話しかけてあげていたら良かったのかなぁ・・・と後悔します。 人間の命って儚いものなのですね。 私たちが胃ろうを選択したばかりに父は大好きな食事もできず、いつも辛そうに寝ているだけになってしまいました。 これが父にとって良かった事だったのか・・・? それは今でも答えが出ないままです。 その時はただ生きていて欲しかったので、その選択しか考えられなかった。 苦しかったね・・・ごめんね。 やっと楽になれたね。 棺には父の大好きだったお菓子を沢山入れました。 お骨になってしまった父を見て、本当に死んでしまったのだと実感しました。 ここ数年寝たきりだった父はやっと自由になって、きっとあっちこっちに行っていると思います。 お父さん、お母さんを守ってね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.04.19 01:55:06
コメント(0) | コメントを書く
[ケロ日記] カテゴリの最新記事
|
|