オジサンが若かった頃
重いテーマはちょいと一休みして、今日は女子高生のスカートの話。こんな話を書こうと思うなんて僕もつくづくオジサンになったなあと一人でシミジミしてます。二人以上でシミジミってのも変だけどね。いつの頃から女子高生のスカートが短くなったのか覚えていないけど、ルーズソックスとセットだったことはハッキリ覚えている。僕らが高校生のの頃は、ひざ下20センチぐらいだったかなぁ。実は僕の嫁さんは高校の同級生なのだけれど、標準より二回りほど太いももとふくらはぎを見ると、つくづく今の時代に高校生じゃなくてよかったね、と思う。あまり想像もしたくない。ひょっとしたら結婚してなかったかもしれない、なんてのはウソだけど。僕らオジサンは、駅の階段なんかで目の前に短いスカートがヒラヒラしてると「見ちゃいけない」なんて良心に言い聞かせながら「見えないかなあ」なんておバカな期待を一日に2回ぐらいしちゃうのだけれど、そういうことって高校生の男の子はあまり考えないんだろうなと思ったりする。なぜかというと、自分が高校生はスカートのその次にあるあまりに小さな下着のことよりも、そのずっとずっと先の、いや距離にしてみればほんの先の、ものすごく不可思議な未知の物体というか体の部分にしか興味がなかったからである。そして僕がそこに辿り着くには、果てしない時間と労力とくだらない作戦と、そしてその時は本当にそこにあったと信じていた愛が必要だった。スカートが短くなった今はどうなんだろう。今でこそ死語となったが援助交際という言葉が溢れ、エイズが他人事ではなくなった。もはや体感することもできず、「女子高生の性体験率○パーセント」などというメディアでしか高校生の性の実態を知ることができないオジサンにとっては、十数年前と比べると、スカートの短さだけでなく、その奥の神秘に辿り着くまでの時間までもが短くなってしまっているように感じられるのだ。昔は良かった、という類の話をするつもりはない。でも今と違ってインターネットで誰もが女性器を簡単に見れる時代には、オジサンの若い頃の、脳みその大部分を占めた好奇心や二人だけの「恥じらい」の時間はずっとずっと少ないんだろうな、と勝手に思っている。先日、近所の公園で高校生のカップルが僕の息子にお菓子をくれたことがキッカケで、少しだけ話をした。「僕は君たちぐらいの時に付き合い始めた彼女と結婚したんだよ。」僕がそういうと、その幼いカップルは目を合わせ、何とも言えない顔をして照れ笑いしていた。すごく微笑ましい笑顔だった。僕等はいつもメディアに踊らされているのかな。自分の目で見たものが、やっぱり一番信じられるよね。