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ここでは、「ブログ内の登場人物」を書きます。 それと、「私の姪っ子ちゃんへの思い」も最後に書いてあります。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 私は、「1980年8月23日5時半に生まれた」とおかんに教えてもらったことがあります。 実は、一緒に暮らしているままは、「本当の母」ではありません。 元会社の同僚です。 ままは2005年1月頃、私と一緒に勤めていた会社を退社。 私は、2005年6月に同会社を退社し、ままに薦められた外資系の企業に転職の予定で内定ももらっていたものの、 入社一週間前に、転職先の事情で内定取り消しになりました。 その後、元々、(当時はわからなかったが)自閉症スペクトラムの私と関係をうまく築けなかった家族関係も一層悪化しました。 そこで、2005年7月1日に実家を出て、それ以降、ままと一緒に暮らしています。 しかし、すぐに、ままは、私と家族の関係を修復してくれました。 (2005年夏の終わりには、家族関係は良好になりました。) 2011年、おかんのガン闘病がはじまりました。 でも、おかんの闘病中に、私は、おかんと一緒に、よくランチに行ったりしましたし、わたしを除いた家族旅行に行った際には、大量のお土産が送ってくれたり、ままと私の家族とで飲み会をしたりしてました。 私は病状が良くなかったこと・翻訳学校の勉強があったことにより、なかなか旅行に参加できませんでした。 しかし、妹が結婚する前の家族4人京都旅行には、講義が終わった後に、一人後追いで京都まで駆けつけました。 (いつも、迷子になる私なので、おとんとおかんは、旅館に着くまで、相当、心配だったそうですが、京都から少し離れた駅に着くと、有名な旅館だったため、タクシーに乗ると、すぐに連れていってくれました。) ままは、叔母(おかんの妹)や私の両親といとこ(叔母の子供二人)とも仲良くしてくれて、みんなで、よく、飲み会を開催していました。 ちなみに、ままは、妹・いとこちゃん・いとこ君の結婚式にも「母友人」「母(叔母)友人」として、出席しています。 そして、 私は、まま、ぱぱ(ままの旦那さん)、ばあば(ままのお母さん)には、本当に良くしてもらっています。 第2の家族みたいな感じで接してくれます。 本当に、感謝、感謝です! 3人は、決して仲が悪いわけではありませんが、ままとぱぱとばあばは、それぞれ、同じ街に徒歩10分圏内の中にそれぞれのマンションで暮らしています。 ままと私のお家からばあばのお家までは(ままの足で)徒歩5分、ぱぱのお家までは(ままの足では)徒歩10分くらいです。 お互いを尊重し合っている夫婦で、私と出会う前から、このスタイルのようです。 まま一家は、日曜日には、ぱぱのお仕事がない限り、ままとぱぱが、ばあばのお家に行って、夜ご飯を3人で食べる習慣があります。 でも、ままは、ビール1本だけ飲んで、私とままが暮らすマンションに帰って来てから、私と一緒に夜ご飯を食べます。 本当の家族のことは、このブログ内では、「おとん・おかん(2017年6月3日59歳逝去)、妹、姪っ子ちゃん(妹の子供:2011年誕生)」と書いています。 ※妹はバツイチです。 姪っ子ちゃんは幼少期の頃から「絵」の才能が素晴らしいです☆ 私とは違うテイストですが、漫画家みたいな感じかな!? 私は頭の中におりてこない限り、作品が作れないので、その点が姪っ子ちゃんと唯一違う点だと思います。 でも、私の場合、頭に構図が一度にたくさんおりてくる時があります。 そうなると、頭が処理しきれなくなり、パニック状態に陥り、混乱し、「うわーーーーーーー!!!!!」と取り乱すこともあります。 生前、おかんに「ひめは、人運が本当にいいね(^^)」と本当に良く言われていたことが、今、その言葉が心にしみわたる日々です。 そして、おかんが亡くなる約1カ月前に、おかんのいる緩和病棟専門病院にままと行った時に、私がトイレに行った合間をみて、おかんが涙目になりながら、「もっと、もっと、もっと、ひめのことを見ていたかったです」と、ままに話したそうです。 おかんが亡くなって3年が経ったある夜に、その話を聞き、「ひめばかり、病気ばかりの体に生んでしまってごめんね。」と言われたことを思い出しました。 その話を聞いた時、「おかん、心配しなくていいよ!妹にこの病気や障害がいかなくて、私は良かったと思っているから!妹だったら、私と違って落ち込んでいたと思う。だから、私の方に病気や障害(重度)が来てくれてよかったと心の底から思っているから(^^)」と心の中からお空にいるおかんに伝えました。 おかんの遺言は、「◯◯(姪っ子ちゃん)が一番だよ」とのことなので、帰省して、姪っ子ちゃんと遊ぶときは、素の発達障害・IQ67丸出しの明るい天真爛漫な私で接し、わからないことがあっても、すぐに理解できる大人(おとんや妹)に絶対に聞かないで、二人で一生懸命考えて、成功したり、失敗したりします。 (カードゲーム系やレゴやパズルは、すでに、姪っ子ちゃんに完敗なので、優しい姪っ子ちゃんは、私にハンデをくれます(笑)) ちなみに、姪っ子ちゃんの成績は、優秀です。 ほぼ、「4」か「5」しか見たことがありません。 妹に似たのかもしれなし、妹のように要領の良い勉強法がすでにわかっているのかもしれません。 そして、私と違って、姪っ子ちゃんは、リーダーシップもきちんと取れるし、まだ小学生なので、友達も男女問わず多いことを考えると・・・ 仮に、姪っ子ちゃんが発達障害だったとしても、軽度だと思うので、重度の発達障害であり、その二次障害も重度である叔母の私としては、「一安心」と言ったところです。 (生まれる前、生まれた後は、私と同じような重度の発達障害を色々と合併していたらどうしよう。。。きっと私と同じく辛くて大変な子供時代を経験し、将来も苦労するだろうな、と思っていました。でも、今は、発達障害の認知度が違うから、少々、教育事情が違うのかな!?とか、色々と考えていました。) 姪っ子ちゃんが、はとこの面倒を見ている間は、まだ、ままに甘えたい年頃なのに、ままそっちのけで、とても優しい気質もあります。 また、私と違って、コミュニケーション能力が非常に高く、「私の遺伝子を受け継がなくて良かったな~」って、心底、思います。 でも、私は、礼儀や躾の面では、私の他人格である「大人で優秀で良い子のさゆりちゃん」になって、接しています。 「そうだね。みんなには、パパ、いるもんね。でもね、○○ちゃん(姪っ子ちゃん)には、○○ちゃんが、大好きで大好きで大好きなママがいて、ママも○○ちゃんのことが大好きで大好きで大好きで、ひめも○○ちゃんが大好きで大好きで大好きで、じいじも○○ちゃんが大好きで大好きで大好きで、天国のばあばも◯◯ちゃんのことが大好きで大好きで大好きで、○○ちゃんには、○○ちゃんと両思いの人が、他のお友達よりたーーーーーーくさんいるんだよ!それって、すっごいことだよ(^^)だから、大丈夫だよ!でもね、寂しかったら、ママやじいじに言ってもいいんだよ。もし、ママやじいじに言えなかったら、ひめに言って、泣いてもいいからね(^^)」と対応したことがあります。 (これは、「さゆりちゃん」対応!?「本当のひめ」対応!?なのかはわかりませんし、この対応が、正しいのかどうかも、私にはわかりませんが、私なりに、そう対応したことがあります。) ちなみに、ままは、「過保護のカホコ」の主人公である「カホコ」の雰囲気や行動が、私とそっくりだと言っていました。 ※さゆりちゃんは、おそらく、実家で生まれた人格なので、帰省すると、自然とそのスイッチが入るのかもしれません。 ※「さゆりちゃん」とは、「解離性同一性障害」から生まれた私の他人格の一人です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.21 11:32:32
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