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2006.11.15
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カテゴリ:かんがえごと


 禅寺の雲水の朝は早く様々な作務があるにも関わらず朝食はこのような薄い極わずかばかりのお粥に一切れのこれもまた薄い沢庵と梅干ひとつだという。
 栄養学やそういう近代的な知の理解からすればこれがはたして良いとばかりは言えないかも知れないが、坊さんに限らず修業の一時期こういう厳しい暮らしをするのは非常に意味があることだと思う。現代は一般にあらゆる意味で厳しい修業期間とでもいうものが欠けているのではないかというような気がする。
 脱俗出家の僧である以上は在家の者の導師であらねばならないわけで、これはやはりひときわ厳しい自律が求められるのはあたりまえではないか。しかし実際の坊さんを見れば、たぶん立派な人も居るのだろうしまた居てもらわなくては困るのだが、お粗末で俗悪なのもまた沢山居てやはり今は末法の世というような感じがする。金を欲しがるばかりの俗な職業坊主が標準であるような今はいかにも佛教にとっては分が悪い。
 それなりの厳しい修業期間がその人の生涯に何らかの影響を及ぼさない訳はないと思うが、食事をどうとか言う意味ではなく本来的な意味で修業は一時のものではなく生涯を貫かなくては意味がない。そういえば何事もはっきり書いた白洲正子さんは比叡山の千日回峰を成し遂げた世間的な意味では高僧に「一生歩き続けなければダメなのね」と言うような意味のことを書いておられた。生涯にわたって筋を曲げることなく歩み続けることはなかなか難しいのだろうが、同時にそれは何も出家というような特別な暮らしでなければ実現出来ないものではなく、職人でも商売人でも勤め人でも心がけ次第で可能な道なのだと思う。子供の教育が甘やかすばかりではなくある種叩き込むような厳しさが必要なのと同じように、大人が大人として生きてゆくのにはある種の修業が欠かせないのだろう。
 日本人にとって精神生活のひとつの大きな支柱である佛教の導師であるべき僧にたいして、ちょっとした資格試験のような調子で僧籍を与えるのは佛教自体の首を自ら絞めることにならないだろうかと自分などは思うのだ。実のところ葬式などはたいした問題ではないにも関わらず、もったいないことに意識の上では佛教は今や一般にとっては葬式佛教にほかならないのでこのために寺や墓地や住職を欲しがる大衆の側にもたしかに問題はおおいにあるのだ。しかしながら佛教の堕落はその責任はやはり坊さんの側が負うべきもので、僧の堕落が佛教の衰退を招いたことは間違いない。親鸞が非僧非俗に生きた覚悟も必然も今の坊さんにあるとは思えないのである。僧はやはり特別な存在で出家する以上は肉喰はともかく妻帯は自ら禁じるべきではないか。現代社会において妻を娶ることに特別な不都合があるとは思わないが、子供が出来れば浅ましいことに寺院や墓地や檀家からの収入などの既得権の相続にあくせくする者が多いと聞くがこういう危険から自らを遠ざけることは出家したものの責任であると思われる。





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Last updated  2006.11.15 22:31:36
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