京都のお菓子屋さんに平安殿という古いお店があるが、これはここのサブレー。実家とは多少の御縁もあったここのサブレーは子供のころから馴染みがあって好きだった。先日いただいて久しぶりに味わって懐かしかった。むろん子供のころにはこれが何のかたちをしているのかなど知らなかったし、包装の文字が富本憲吉の筆によるものだとももちろん知らなかった。今見ればあの不器用で実直な富本憲吉の独特な文字に心が魅かれる。
その味もさることながら鴟尾(しび)の姿をしたサブレーは和洋両方の菓子を作る京都のお店だからこそのような気がする。鴟尾というのは飛鳥時代に大陸か半島から瓦の技術が伝わってきた時に同時に伝わった装飾で寺院などの屋根の棟の両端に見られるものである。和菓子の世界では何かの姿を模したものを作るのは常道であるが案外洋菓子には少ないのではないだろうかとも思う。和菓子に限らず様々なかたちでの模倣は本歌取りということで日本の伝統的な文化の中ではしばしば行われてきたことで、それは和歌であれ茶であれ絵画であれ極めて創造的な文化の継承にとって欠くことは出来ない要素であったと思う。本歌取りは古典に対する知識と共に確かな技術がなければ成り立たないもので、このようにして過去の偉大な技術と知識が絶えず新鮮なものとして今に生き続けてきたのはなかなか興味深い有様ではないかという気がするのである。
サブレーは瓦屋根の装飾ではあるがこの器は屋根瓦そのものである。瓦といえばやきものの瓦があたりまえだが、これは東北地方で使われていた玄昌石という石の瓦である。石の瓦ならこの前益子に行った時にもしばしば見かけたが栃木県の大谷石などが有名であるが、これはどっしりとした量感の大谷石の瓦よりも余程薄くてその質も堅そうに思われる。切って研ぎ出したとは思えないのでおそらくは石の目に沿って薄く割れるのではないかと思うが使い方も加工のしかたもどういうものなのか詳しくはわからない。ただ鉛筆の芯のように真っ黒でつやのないこの風合いは石として見てもまた板としてみてもたいへん美しいものであるから使い方を工夫すればいろいろと用途は拡がるのではないかと思う。器として見ればサブレーでもいいのだが、例えば夏の暑い時期に蕨餅や葛饅頭など半透明の冷たいお菓子を器ごと冷やして乗せればよさそうな気がする。