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カテゴリ:歴史
四つ目のカブラル の続き
未曾有の戦争多発地帯となった戦国時代の日本 宣教師は予想超える日本の軍事的発展を驚きを持って記していた バチカンに残る文書には 「日本は絶え間なく軍事力を高めている」 とある 最新の調査から、当時の日本で空前の軍事革命が起きていたことがわかってきた 最大の変化はヨーロッパから伝わった鉄砲。国産化が進むなか、急速な技術革新が生じていた 銃身の断面を放射線で調べてみると、鉄に含まれる不純物が、外国産のものより均等に分散していることがわかった これは銃身の強度に安定をもたらす その秘密は鍛造と言われる技法にあった この技は日本刀の制作で磨かれたものである 鉄を鍛え上げることで強度を飛躍的に高めたのだ 火薬を大量に詰めても銃身が歪む事はなく、その爆発力を弾丸に伝えることができて、鋼鉄製の甲冑を容易に射抜く破壊力があった 日本の鉄砲はヨーロッパと異なる独自のイノベーションを遂げていたのである さらに、日本では鉄砲が「大量生産」されていた 信長の直轄地であった大阪の境で、鉄砲を作っていた職人たちのリストが見つかった パーツごとに「分業性」がとられて大量生産が行われていたとみられている 戦国日本にあった鉄砲の数は30万丁に及び、世界一の銃大国になっていた 世界でも突出した軍事大国であったのだ 宣教師たちは信長の天下統一は後押しする一方で、日本の軍事力を詳しく分析していた 「日本は強大な軍事力を持っている。日本の力は利用する価値がある」 戦国の日本をより大きな世界戦略に組み込もうとしていた 安土城の瓦と同じ青い瓦を許されていたのが、安土城下に建てられた神学校である 信長と宣教師たちの深い関係がうかがえる その裏で密かに征服計画を抱いていた宣教師たち 彼らの計画を加速させることがヨーロッパで起きていた。スペインにて。征服王と言われたフェリペ2世がポルトガルを併合したのである。これは世界情勢を大きく塗り替える出来事であった。当時スペインは無敵艦隊と言われる約30隻の軍艦を用いて世界有数の海軍力を誇っていた。そのスペインがポルトガルの広大な植民地を飲み込み巨大帝国が誕生したのである。フェリペ2世が下した命令、アジアの制服に尽力せよ。このことが戦国の日本を大きく揺るがすのである。 アジア征服計画 「我々の最大の目標は中国の制服である。それはスペイン国王の権力の発展につながる」 当時の中国は明と言った。アジア最大の人口を抱えていた。キリスト教がアジアを席巻するためには、この国の制服が不可欠と考えられていた。鍵は世界屈指の戦国日本の軍事力であった。 「スペイン国王が行う中国征服事業のため日本は非常に有益な存在となるであろう」 当時日本は中国に比べて非常に好戦的な国だと考えられていた 宣教師は日本の軍事力を利用すれば中国の制服も可能だと分析したいた アジア征服のため日本の軍事力を利用しようとする宣教師たち、宣教師がもたらす軍事物資を使って天下統一を目指す信長、しかし、両者の蜜月は終わりに近づいていていく さて 出ました ここで信長の重大発言 「我神にならん」 天下統一を目前に自信を深めた信長 キリスト教の神ではなく、自分こそこの世の支配者であると宣言した 宣教師たちは、信長は意のままにはならない、と戦略の立て直しを迫られ、新たな計画に乗り出していった その舞台は中国に近くキリシタン大名の多い九州 宣教師は長崎港一帯をキリシタン大名から譲り受け支配下に置く さらに最新兵器、大砲を九州に持ち込み、軍事力の強化を図ろうとしていた 九州は宣教師にとって制服計画を始めるためのプラットフォームであった 宣教師が蓄えた軍事力は信長にとって大きな脅威になっていく この頃、日本のキリシタンは九州を中心に100,000人に増加 信長の想像を超えた大きな勢力に成長していた 宣教師の真意を問いただす信長 「貴様ら、この国で何をしようとしているのか?」 宣教師は答えた 「われらは日本人の心を盗みに来たのです。悪魔の手から霊魂を救うため」・・・宣教師 グネッキオルガンティーノ 緊張を孕んだ両者の関係は、突然の事件によって断ち切られる 本能寺の変 このときの様子を宣教師がつぶさに記録している 「信長は襲撃を察知できていなかった。薙刀で戦った後、銃弾を受けた。」 信長の死後も、宣教師の計画が止まる事はなかった 山崎の戦い 宣教師が勝利するとにらんだのは豊臣秀吉であった。宣教師は高山右近らキリシタン大名に対し秀吉側に加わるよう働きかけていた。右近たちが勝利すればキリスト教の勢力拡大に有利に働く。宣教師は情勢の変化に期待していた。 目論見通り、秀吉が勝利した後、政権の中枢には多くのキリシタン大名が名を連ねた 黒田官兵衛、高山右近、蒲生氏郷、黒田長政、小西行長 秀吉の時代には日本のキリシタンは30万人を突破した 新たな政権のもとで宣教師たちの計画が加速していった 世界帝国スペインと宣教師たちのアジア征服計画はさらに進んでいったのだった 続く・・・ 結局、信長は、キリスト教には染まらなかった、ということですね オルガンを聞きに神学校には足を運んでいたようですが 彼にとっては多くの興味の対象の中の一つでしかなかった 宣教師の神は天地創造の神 唯一神 デウス 信長の考える神は、しいていえば、神道的、多神教的な神霊 八百万の神々(複数形) ここには大きな隔たりがある 宣教師たちは日本を軍事力で直接攻めるのは諦めていただろう なんせ当時の日本は世界屈指の軍事大国だったのでね これは信長の功績だったといえるかもしれない あとになってみないとわからないことがたくさん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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