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キイロマンの地球観撮日記

キイロマンの地球観撮日記

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2020年10月12日
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カテゴリ:歴史
こちら の続き

オランダ船、漂着の半年後に起きた関ヶ原の戦い
総勢20万人とも言われる大群が戦った天下分け目の決戦
スペインの宣教師の記録にも、その様子が記されている

「徳川軍が打つ嵐のような弾丸 
 瞬く間に光成たちの軍は総崩れとなった 
 オランダの武器を手にした徳川軍 
 その火力は圧倒的だった・・・・・・・」

しかし、家康にとって、まだ大きな障壁が残っていた
父秀吉から莫大な遺産を受け継いだ豊臣秀頼である
秀頼の下には豊臣家に忠誠を誓う武将たちが結集していた

同じ頃、ヨーロッパでもオランダとスペインの戦いが新たな局面を迎えていた
1602年 世界初の株式会社、オランダ東インド会社が設立された
東インド会社の特許状が今も残っている
本来、国が持つ様々な特権が、ひとつの会社に託されていたことがわかっている
外国の領主と独自に条約を結ぶ権利、兵士を雇い要塞を築く権利、さらには貨幣を作る権利まで
最前線に立つ商人に強力な権限を与えることで、迅速な海外進出を目指し、宿敵スペインに打ち勝とうとしていた
この世界初の株式会社は、戦国日本に正式な使節を送り込んだ
オランダ東インド会社商館長 ジャック・スペックス

この時代
ヨーロッパに君臨していたのは各国の国王、そしてキリスト教の指導者であるローマ教皇であった
彼らが求めたのは領土を広げ、信者を増やすことであった
ところが商人たちが作った国、オランダの目的は全く違う
領土や布教ではなく、純粋に利益のみを追求した
東インド会社を通じて国中から資金を募り、世界各地に貿易船を送り出した
そしてオランダが注目したのが戦国日本であった

当時スペインは、新大陸の植民地で多くの巨大な銀山を開発 世界の生産量の8割を占めていた
銀の力によって世界経済で優位に立ち、強大な軍事力をそれによって支えていた
一方、新興の商業国家オランダはスペインに対抗するため銀の独自の入手先が必要とした
オランダはスペインの銀の独占を切り崩したいと考えていた
そのチャンスを得られる特別な場所が日本だったのである
16世紀にヨーロッパで出版されたドラードと言う日本地図には「銀山王国」と記されていた
戦国時代の日本は銀の産出国として知られていたのである
日本の銀を手に入れるために、オランダ東インド会社は、有能なビジネスマン ジャック・スペックス を日本に送り込んだのである
今回見つかった資料から、スペックスが日本の銀について調査していたことがわかる

「この国の銀山から我々が必要とする銀、全てを採掘できる可能性がある」
「秘密裏に佐渡の銀山を調査せよ」

佐渡には日本最大の銀山があった
当時、佐渡では激しいシルバーラッシュが生じていた
この銀山の開発を進めたのが徳川家康である
家康は豊臣家に対抗する資金源として銀を重視した
関ヶ原の戦いの後、いち早く佐渡を抑えていた
家康が幕府を開いた時、日本で一番勢いのある銀山であった
佐渡はどれほどの銀があったのか今調査が進んでいる
戦国時代末期、家康が採掘を進めた坑道を調査
家康は5万人の労働者を佐渡島で働かせ昼夜交代して働かせていた
佐渡全体での埋蔵量は2300トンを超え、世界トップレベルの銀山だった
家康は佐渡を始めとして、全国各地で次々と鉱山開発を行っていった
日本の銀の生産量は急速に拡大し、年間100トンを超える
世界の生産量のおよそ3分の1を占めるようにもなった
調査の結果、佐渡の銀は、スペインの銀以上に純度が高いことも判明した
日本の銀を狙うオランダのスペックス
しかし当時、良質な銀を国外に持ち出す事は禁じられていた
スペックスは家康との交渉に乗り出した

「私たちの商品と引き換えに日本の銀をただきたいのです」

スペックスは家康が好む商品を入念に調査して献上品として用意していた
美しい毛織物 色とりどりのガラス 最高級の鏡・・・
しかし家康は

「オランダは戦が得意であったな 兵器こそ持って来い」

家康がより強く求めたのは兵器であった
スペックスはすぐさま準備にとりかかった
オランダ東インド会社の貿易ネットワークを駆使し、兵器をかき集めた
オランダの動きに合わせたのがスペインである
負けじと家康のもとに使者を送り込む 
ロドリゴ・デ・ビベロ
ビベロは家康との交渉に有効なカードを持っていた
鉱山技師である
最先端の技術を持つスペインの技師がいれば日本の銀の生産量をさらに増やすことが可能であった
ところが

「鉱山技師を発見するには条件がございます
 新たに採掘した銀の半分はスペインのものとすること」

「キリスト教の教会を建て、宣教師を置くこと」

スペインはただの商人ではない 聖職者もついてくる
彼らにとって、キリスト教の布教と貿易は表裏一体であった
彼らは、キリスト教の布教も許せ、との一点張りであった
そこには隠された狙いがあった
ビベロが密かに国王に送っていた文書が残っている

「日本には数多くの銀の鉱脈があります
 この地に侵入するのは極めて有益であります
 しかし、軍事力に秀でた日本を征服するのは容易ではありません
 キリスト教の布教を進めるべきです
 キリシタンの数が増えれば、家康の死後、陛下を新たな王と仰ぐことでしょう」

スペインの野心を察知したオランダは家康に訴える

「スペインはキリスト教を広め、キリシタンの反乱によって国を崩し征服しようとしている
 フィリピンもメキシコもこの方法で支配下に置おき、植民地にしてきたのです」

この言葉でスペインへの不信感を募らせた家康は交渉を打ち切った
さらにキリスト教の全面的な禁止に踏み切った
各地で厳しい弾圧の嵐が吹き荒れた
布教の道を絶たれたスペインは新たな策を講じる
宣教師たちが目をつけたのは大阪の豊臣家
家康と敵対する豊臣秀頼に接近したのである

それぞれの思惑が絡み合う中、戦国最後の合戦が始まろうとしていた
日本の銀をめぐってしのぎを削ったオランダとスペイン
なぜそこまでして銀を求めたのだろうか
その理由は経済の仕組みの劇的な変化、現代まで続くグローバル経済の誕生である
大航海時代、アメリカ大陸で大規模な銀山が見つかると銀貨が大量に作られた
これこそ世界中で使われるはずの国際通貨であった
銀貨によってヨーロッパの商人たちは、東南アジアの香辛料や、中国の陶磁器など、世界各地の商品を購入できるようになり
ヨーロッパ、アジア、アメリカが銀によって結ばれ、国際貿易が活性化 地球規模のまったく新しい経済が誕生したのである
銀をめぐって争ったオランダとスペイン
その行く末を決める舞台となったのが大阪の陣であった

続く・・・

同じクリスチャンでも、プロテスタント系のオランダは
スペインとは違って、貿易とキリスト教とを分けて考えていたようですね
それゆえ、日本が鎖国されてからも、オランダとは交易が続いたのでしょう

次回で最後になると思います


武蔵野の森





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最終更新日  2020年10月12日 21時18分29秒
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