娘の前髪!!
今日も工場スタッフは遅くまで仕事してくれました!お疲れ様です!明日からは徹夜になる予定を先程話して本日は少し早く終了しました。 本当にみんな頑張ってくれています。お待ち頂いているお客様本当に申し訳ありませんが、心をこめて頑張っています! 少し前になるのですが娘が前髪を自分でばっさり切ってしまいました。4歳にしてなかなかの度胸です。生まれてから一度も髪を短くした事のない娘の自慢のおでこが丸見え状態になってしまいました。家では「落ち武者」と呼んでいます。 まさか自分で髪を切るとは思ってませんでしたので本当にビックリしました。良い思い出になると思います。 昨日の続き! 私がなぜ「マネーの虎」に出たのか!出れたのか!どんな気持ちで出てのか!裏話!です。 プラスチック工場の下請けを3年ほど続け本当に毎日の様に担当の方に怒られてばかりの日々が続きました。毎日恥ずかしいですが泣いていました。 今まで何もかもさぼっていた私が始めて仕事の厳しさをしった日々でした。3日ほどまったく寝ずに仕事したことがあったぐらい納期も厳しかったです。 木工の仕事が忙しくなりプラスチックの下請けを申し訳ないのですがやめて木工一本に専念する事になりました。 父の叔父の会社のみの専属の工場でした。叔父も厳しく毎日の様に怒られていました。一番友達と遊びたかった時期ですがいつも仕事ばかりでしたので友達とまったく遊ばず工場に閉じこもりの日々の始まりでした。 毎日少しでも早く加工できる方法がないか何度も何度も木製品の作り方を変えて思考錯誤して木製品を作っていました。叔父の会社は、ネームプレートやポスト・雑貨の製作でしたので小物メインの仕事でした。本当に色々な物を製作しました。スタッフも4人ほどでしたので毎日本当に遅くまで仕事していました。 今でもそうですが木工品の小物商品はなかなか難しい所もありこの時期(19才~23才)頃まで木工に関する技術を身につけたと思います。 私は昔から覚えが悪いので人より時間を掛けないといけないといつも思っていましたので、普通の人の2倍は毎日仕事しようと目標を立てていました。毎日遅くまで仕事することで少しでも早く成長したいと毎日思い頑張っていました。 父がいつも「わしの人生は波乱万丈だ!」と言っていますが私達にとって本当に大波乱が待ち受けていました。 大波乱とは叔父の会社の倒産でした。父の兄弟は2人独立して事業をしておりほぼ同時期に2人とも倒産しました。ちょうどこの時期は中国からの輸入品が増えてきた時期でした。 叔父の会社で販売していた商品と同等のものがホームセンターなどで半額以下で販売が始まりました。 叔父の会社しか取引先のない会社でしたのである日突然仕事がまったくなくなる自体になってしまいました。私自信木工品の製作技術を上げることばかり集中しておりましたのでまったく営業などした事がなく物を売る事についてははっきりいって自信はありませんでした。 2000年5月1日 当時の工場(愛媛県中山町)に廃車のマイクロバスを買ってきて周りをウッドデッキで囲んだお店を自分達で作りました。 短期間で初めての自分達のお店にドキドキしながらみんなで頑張り製作しました。正直この時期はお店を作る事で仕事が入ってくると思っていました。 これで忙しくなるぞ!とみんな簡単に思っていました。 しかしお店をオープンしてまったくといっていいほどお客さんが来てくれませんでした。1日0人の日が続きました、、、 何がいけないのだろうと毎日考えての生活でした。目立たないからだ!と思い下の写真を見てわかると思うのですが、とりあえず目立つ色でお店にペイントばかりしていました。 ★また明日続きをお書きします!