砂遊びから感じること、これからのこと。
雨上がりの午後、長男と近所の公園へ遊びに行く。砂場でトンネルを作りたいと長男が言うので、二人で道具を使い砂山を作る。長男は、砂山にちょっと横穴を掘っては、「お団子の種を植えます」と言って、砂団子を穴に入れては埋めるといった事を繰り返していた。僕は、小学1,2年生の頃の砂遊びを思い出し、当時もこんな風にトンネルを掘ったっけなぁと懐かしい気分になりながら、砂山の下に横穴を掘りトンネルを作る。ただ、あの頃と違うのは、自分の服が汚れることを気にしていた。僕は子供が外で遊ぶ時ぐらい、子供の服の汚れを気にしない様にしたいけど、いざ遊ばせるとついつい服の汚れを気にしてしまう。要するに、僕の気持ちの中には、理想と現実のギャップがあった。この日も、僕の掘ったトンネルに手を突っ込んでいる長男を見て、「あまり服を汚さないようにね」と言いそうになるが… 今回は、それを言うのは止めることにした。確かに汚れた服を交換したり、洗うのは面倒だけど、それは親の都合だよなぁ。服を汚したくないのであれば、汚れてもいい服を着せればいいし、靴も服も、それに家が汚れてもそれは、後でキレイにすればいい、そんな風に、この時は思えた。子供が集中して楽しんで外で遊んでいる分には、(もちろんやって良い悪いの判断は必要だけど)思いっきりのびのびと遊ぶ経験の方が、子供にとって大切なのは容易に判る。そう判っているのに理想と現実のギャップがあるのは、語弊を恐れず言えば、今までの僕は、あまり本質を考えず楽な選択ばかりをしていたのかもしれない。その積み重ねが、少しずつ僕の判断を間違えさせていたのかなぁと思うのです。今、僕の目の前で砂だらけになり、滑り台にできた水溜りで手をバシャバシャしている長男を見て、これが子供本来の姿なんだろうと思う。ならば、これからは子供の服のことは気にしないでおこう。汚れた分だけ子供は成長していると思って。。。