「七転八起…4」(朝ドラ日記)・・・・!!
おはようございます。皆様お元気ですか。きみちゃんの「マイ・ラブ・デイズ」長編朝ドラ日記の愛読されれば幸せです。Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"! 【マイ・ラブ・デイズ】「七転八起…4」思い出の日産自動車村山工場 父(留治)は、板金仲間と一緒に「日産村山工場」の屋根吹替工事や板金修理全般工事を受けて、働けることになった。経理関係や税務関係は、父にとって、一番の苦手なので、毎晩仲間の人に、酒を飲みながら帳簿を付けさせていたのだった。 この日産自動車村山工場(にっさんじどうしゃむらやまこうじょう)は、2001年(部品は2004年)まで日産自動車の主力生産工場のひとつとして存在していた工場である。跡地の4分の3は、真如苑に譲渡され、真如苑を加えた「跡地利用協議会」(五者協議会)によりまちづくりのための土地利用が検討されている[1]。跡地の一部には「イオンモールむさし村山」や「武蔵村山病院」、「カーミナル東京」、「東京日産新車のひろば村山店」などが建ちならび、その一角にあるプリンスの丘公園にその名残を残すのみとなっている。そして、1962年、プリンス自動車工業第一号車であるグロリアのオフラインを皮切りに同社の乗用車生産工場として操業を開始した事が始まりであり、ここからプリンス・ロイヤルやスカイラインも生まれた。その後、1966年の日産自動車との合併以降、栃木工場、追浜工場などと並ぶ日産自動車の中核的な車両生産拠点として重要な役割を果たしてきたのだった。工場では、プリンス自動車工業時代からのグロリア、スカイラインに加え、セドリック、ローレル、プレセア、マーチ、キューブなどの日産の主力車種の生産をも行い、日産自動車武藏村山工場としての累計生産台数は約968万台、所在地は東京都武蔵村山市榎1-1(一部立川市に所在)、敷地面積は1,390,000m2であった。敷地内にはコ-ナ-・バンク付きのテストコ-スが有りスカイラインはここでテスト走行をしたのであった。 昭和36年の時に流行(はや)った言葉が、「アンネの日」 「お呼びでない」「巨人、大鵬、卵焼き」 「現代っ子」「C調」 「女子大生亡国論」 「トサカにくる」「ドドンパ」「どーもすいません」「地球は青かった」「プライバシー」 「申しわけない」 「ラリる」 「わかっちゃいるけどやめられない」「ちーとも知らなかったわァ」…などがよく耳にするようになった。 母(富子)は、銭湯の番台仕事を続けていたが、自分の持ち味を活かして、保険のセールスになろうとしていた。そして、今後の自分の体のことや我が家の生活の安定のために、今住んでいる敷地に余裕があるので、簡単な借家を立てて少しでも家計の役立つことを考えていたのであった。 子供たち(私と弟)は、小遣い稼ぎ(バイト)に父の「お手伝い」として、日産村山工場に行ったことが何度かあった。そんな思い出が今でも記憶に残っている。~~~~~朝ドラ日記連載中~~~~~