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たくさんの方が心配してくれていて、本当に感謝しています。みなさんありがとうございます。
精神的に辛い毎日です。 今でも震災が夢ではないか? 寝て目が覚めたら、もとの気仙沼市に 戻っているのでは?と思う毎日です。 毎日 空を見上げ 応援してくれる人の 声を聴いています。 頑張れる!!心に誓う。 生きている事の幸せ 家族がいる幸せ。 被災しても自分に今何ができるのか・・。 考える毎日です。 私が体験した事を残しておきたくて 少しずつですが、更新していきたいと思います。 3月11日 14時46分 取引会社へ書類を届けに行って、会社の中に入った瞬間・・・。 今までに体験したことのないすごい揺れ。 立っているのも大変なくらい。急いでパソコンのモニターを押えました。 ブーン?ゴー?っと、うなりながら6分ぐらい?は揺れていたかな? すぐに防災無線のサイレンが鳴り響き 「当地方に大津波警報が発令されました。」 大津波警報? 会社のテレビをつけたけど。地震のせいでアンテナが壊れたのか 画像がよく見えない。音声だけは聞こえてきた。 「15時に10mの津波が到着する予定です。」 会社は、海から離れている山の上 映りの悪いテレビを見ていると、 気仙沼市の様子が放送されているみたい。 エースポート(大島への船の発着所)のすぐそばに建っている 市営駐車場(3階建て)が2階まで海水に浸かっていた。 そんなに大きな津波?? 私達夫婦は同じ会社(建設業)で働いています。 主人は、川の近くの小学校の現場に行っていましたが、 会社の無線で高台へ逃げたと連絡が入った。 自宅は徒歩3分の気仙沼市民会館や気仙沼中学校の近くの高台なのですが、 同居する私の父と母の事が心配になりました。 そして息子が通う保育園は、自宅から坂を下った徒歩5分の場所ですが、 あの映像を見る限り津波がきている可能性が高い。 娘の中学校は避難所になっているから大丈夫。 でも次の日(12日)は卒業式だから早く帰っているかも・・・。 主人の母と姉・・。 主人の実家は、海と川の側。姉の職場は、自宅から5分の川沿い。 15時14分 姉から「母と中央公民館に避難しました。」とメールが届く。 ず~っと防災無線のサイレンが鳴り続いたまま。 社長が戻ってきて、市内は渋滞して動けない。と そのうち携帯が圏外になってしまい。誰とも連絡がとれなくなってしまいました。 16時過ぎ。 私の車(ニ駆)で、会社の先輩(家が近所)と強引に帰ることにしました。 市内へ向うと、交通規制がされてなかなか自宅に辿り着けない。 川沿いの道路へ向ってビックリ。 船が流されてきていた。ガレキの山になっている川。 その川沿いしか自宅へ帰る道が無くて・・・。 無我夢中で、ヘドロで滑りながら道路を突っ走りました。 (その後、その道は四駆の車のみ通行と規制されました。) 避難所になっている小学校・中学校までしか通行できず、中学校の裏に車を停めて 先輩と別れ家族を探しに走りました。 まず中学校へ向うと、息子の保育園の先生と出会い 「かなた君はおじいちゃんが迎えに来て家にいるはずです。おねーちゃんも中学校にいますよ。」と教えて頂き、すぐに娘の無事を確認できました。 自宅にいる父と母と息子を探しに走りました。 避難所の市民会館を過ぎたあたりで、自治会で仲良くしている家のガレージに避難していました。そこに近所の2家族と一緒にいる3人の無事を確認できて一安心。 18時近くになりどんどん雪が降り始めて・・・。 寒くなったってきて築40年以上の自宅があの揺れに耐えられたかどうか・・。 損壊しているかも解らないので市民会館へ避難しました。 娘(はるか)は、中学校に避難していたので、何度も様子を見に市民会館と中学校を行ったり来たり。18時過ぎ?市民会館の上の方が真っ黒になっていた。ふと見ると海が真っ赤に燃えていた。まるで戦争でも始まったかのような風景。 商港岸壁の石油タンクが爆発炎上したらしく、海一面重油だらけ。津波で破壊された家屋の廃材に引火。それが何度も押し寄せる津波に乗って湾内へ。 停泊していた船にも引火していました。 もう地獄のようでした。全てが燃えていました。 外は、重油と焦げた匂いで充満していました。 こんな惨劇に涙が止まらなかった。見ているしかできない。 この火の海の中に主人の母と姉が避難した中央公民館があり 心配で、心配で、胸が痛くなりました。 自宅が心配になり戻ると、主人がいた。 津波がおさまってから急いで帰ってきたみたい。 避難する途中に、川から津波が上がってきて、橋を渡るときすぐ目の前まで 津波がきていて焦った。と・・。 自宅の下の方からも火災が発生していて、自宅も焼けるかもしれないと思い、 貴重品やアルバム、息子の新入学用品を持って中学校に停めてある車に何度も運びました。 娘は中学校、父と母が市民会館、主人と私と息子は自宅で一晩過ごしました。 夜中に余震や火災によるカスボンベが爆発する音で、ほとんど眠る事ができませんでした お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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