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テーマ:ニュース(100180)
カテゴリ:つぶやき
もう三か月くらい前になりますかね。
栃木県佐野市でママ友が二人続けて自殺しました。 たぶん、ほとんどの方は「なぜそんなことで死ぬことあるんだ?」という感想だったのではないのかと思います。 そしてそういう方は本当に幸せなので、今の幸せを維持した方がいいと思います。 あの事件は単なるママ友二人がママ友仲間にいじめられて自殺に追いやられたというような単純な事件ではありません。 私はまったくの部外者ですが、栃木県で生まれましたのでよくわかることがあるのです。 栃木県は決して民度の高い土地ではありません。 むしろ人権意識においては民度が低い土地だと思います。 自殺の原因になった女性たちは過去もきっといじめる側だったことでしょう。 人間はなかなか変わらないのです。 人間の本質を変えるということは本当に厳しいものがあるのです。 おそらく、自殺した母親たちは栃木県で生まれた人か、もしくは他県の大学に行っていない方たちだと思います。 私が言っているのは学歴云々ではありません。 それは勘違いしないでいただきたいと思います。 私の父母は中卒です。 学歴が人生にどれほどの価値があるか私の疑問でもあります。 本当に優秀な人は大学なんかに行かなくても成功します。 某出版社の社長さんは中卒だか高卒で、船の塗装を職にしていた方ですが、今はとても成功しています。 栃木県には闇があるのです。 これが本質です。 ただし、この闇は、栃木県から出た女性でなければ分かりません。 だからわかる人は少ないのです。 大学という最高学府がこれだけ多数できてしまい、Fランなどと言われる大学もできてしまいました。 これはもはや最高学府とはいえないでしょう。 ただし、大学に行くと学べることがあります。 それは知識です。 知恵といってもいいかもしれません。 よその世界を見ることが闇を認識する第一歩です。 世の中には「なんて頭の持ち主なんだ」と思うような人がいます。 不幸なことに私は大学での学生にそれを見たことはありませんが、教授には恵まれていましたので、世の上の限りなさを見ました。 少なくとも大学に行けば「教育」というのは「受ける義務ではなく受けさせる義務」があるのだということに気が付きます。 それを知識として得られます。 子供本人に義務があるわけではないのです。 単に養育者に義務があるだけなのです。 きっと、自殺した彼女たちはそれを知らなかったことでしょう。 死ぬほどいやがらせを受けていじめられてまで学校なんて行くことはないんです。 そんな価値のある場所ではないんです。 勉強なら家でもフリースクールでもできます。 なんなら私が教えてあげたっていい。 栃木県のそのあたりの学校のレベルなんてそんな程度のものなのです。 灘や開成や豊島岡や富士見や桜蔭でいじめがあったなんて聞いたことがありますか? ないでしょう? それが民度の差なのです。 それが違いなのです。 大学に行ってちょっとした知恵をつけたら、そのラインの履歴をもって弁護士事務所に駆け込んだはずです。 法務局の人権課でもかまいません。 ちょっと頭を働かせれば死なないんです。 子供は学校に通わせなければいいのです。 家で勉強すればいいだけです。 わざわざ死ぬことなんてないんです。 でも彼女たちにはその知恵がなかった。 私はそれが残念で仕方ありません。 かなしくて仕方ありません。 せっかく産んだ子供を残して死ぬなんて、もったいないではないですか。 そうは思いませんか? 公立校の教師なんてあてにしたらだめです。 いじめの問題解決なんてしてくれません。 彼らはただの公務員なんです。 「学校に来なさい」なんて言葉、自分の保身のために言っているだけなんです。 もう一度言います。 学校なんて死ぬ思いして死ぬことになってまで行くことありません。 人間は死ぬときは石につまずいても死ぬんです。 ましてや、母親なら、父親なら、子供を守ってあげてください。 あなたたちが守らなくてどうするんですか? どうせ人間いつか死ぬんです。 馬鹿なママ友のせいで死ぬなんてことは絶対に拒否なければなりません。 ちゃんと法的な落とし前をつけさせなければいけません。 それは日本人なら当然持つ権利です。 加害者側の母親たちはだれが外部に漏らしたか必死に探しているようですね。 それが栃木県ですよ。 それが事実なんです。 栃木県はそういう土地なんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 28, 2015 12:12:07 PM
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