カテゴリ:演劇・コンサート・ミュージカルなど
串田和美X中村勘三郎コンビの今年の
コクーン歌舞伎は、10回目を記念して、 歌舞伎でお馴染みの「桜姫東文章」(作・鶴屋南北)を下敷きにし 6月は現代版、7月に歌舞伎版を上演という試みである。 6月の現代版では、舞台を南米に移しての「桜姫」で、 副題にある『桜姫-清玄阿闍梨改始於南米版』となっている通り、 今回は、主役は、桜姫では無く清玄阿闍梨が主人公であった。 舞台の構成・演出は、数年前の蜷川演出の「エレンディラ」 (作・ガブリエル・ガルシア=マルケス)(楽団や見世物小屋、 身動きのできないほど太った人物など)を彷彿とさせる。 同じ、南米が舞台になっているから余計にそう思えるのかも知れないが。 物語の中で谷底(貧民街を指す)という言葉で出てくるが、 見ている間に、これは、谷底の住民達が演じる芝居なのでは、ないかと思い当たった。 (プログラム未購入なのだが、ひょっとしてそういったことが書いてあるかも) 最後に出演者が楽器を打ち鳴らす祝祭風景を、 見ながら、大竹しのぶ演じるマリアこと桜姫 (16歳という年が、年齢偽証の詐欺まがいには見える)が 高貴な姫君に見えないのは、そのせいかもと思ったりも。 原作と異なり、この物語では、彼女は死を選び清玄も権助も生きている。 そして、実は、二人が兄弟というオチも、今回は、ないためか、 物語自体が歌舞伎のあくまで”かぶいて””かぶいて” かぶきまくり、最後に大団円を迎えるのに比べると、物足りなさが残って しまった。そうそう、歌舞伎では一人二役で演じる清玄&権助も、今回は、 二人で演じているため人間の表と裏(白と黒)を演じ分ける早変わりの醍醐味も薄い。 ともかくも、観劇後、今回の舞台では、 歌舞伎より、「桜姫」の官能美と宿業の連鎖が薄いためか、 とらえどころなく、本能のままに生きるヒロインの運命に圧倒されるという ことも無く、物語の重要なモチーフである清玄と桜姫、権助の輪廻の世界も 省かれているためか、群衆劇の要素が強く出ているように思えた。 ただ、ほとんど目の前での観劇であったためか、 役者達の臨場感と芝居力は、大いに楽しめたのは、確かである。 特に何役もこなし、トランペットを奏でる笹野嵩史の変幻自在振りには脱帽であ る。 しかし、ずいぶん原作をはしょってある演出で、 はじめてこの物語を観た観客は、話の筋が理解できたのであろうか? なお、間もなく千秋楽を迎える現代版だが、舞台の最後に「歌舞伎版へ続く」 と暗示する演出があり、さて、7月は、どのようになるのであろうか? ベンチシート:ステージを取り囲む形でベンチシートが設置され、 舞台が中央の低い位置にあり、舞台を取り囲む形で観客席がある。 追加販売されたベンチシートは、実質、二階席といった趣であるので注意が必要かも。 原 作 四世 鶴屋南北 脚 本 長塚圭史 演 出 串田和美 出 演 桜姫→マリア/白菊丸→ジョゼ:大竹しのぶ 清玄阿闍梨→セルゲイ:白井晃 長浦→イヴァ:秋山菜津子 残月→ココ:古田新太 権助→ゴンザ:中村勘三郎 他色々:笹野高史 本日のきもの:ホタル模様の絽縮緬の小紋(濃い紫色)に波模様の夏名古屋帯、帯留は菖蒲の蒔絵 。季節を楽しむ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 19, 2009 11:21:54 PM
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