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カテゴリ:木クラス
今日は木クラス。
待ち合わせは、大江戸線・牛込神楽坂駅。 快晴 31℃/23℃ 外は灼熱地獄。 駅の改札前、地下で待ち合わせ。 地下は、冷房がちょっときいています。 お一人の方が、ステキなバッグをお持ちでした。 先日の、人形町の後の日暮里繊維街で購入した リサイクルの帯で作ったんですって! 帯をそのまま、正面・後ろ面に使い、 持ち手は、同じ日暮里の材料屋さんで。 正絹のバッグって、贅沢ですよね。 帯の大きさって、バッグにちょうどいいし。 柄も着物にぴったり。だって、帯ですもの。 画像では、バッグを奪いそうな勢いですが、 「ここがステキ!」「上手くできてる!」と、 褒めまくっているところです(*^^*) 全員揃って、地上へ! 住宅街を歩きます。 相合傘~ ♡ 宮城道雄記念館 琴には、生田流と山田流があります。 大元の琴を始めたのは、室町時代、 北九州市の賢順(けんじゅん)というお坊さん。 当時の琴は、音楽の楽しみというより、 修行や精神性を重視したものでした。 江戸時代の初期、 その孫弟子である八橋検校(やつはしけんぎょう) という琴の名手が現れ、 精神性に加え、 音楽の娯楽性と芸術性の両方を高めます。 検校というのは、 昔の日本の、盲人の中での最高位の名称。 現代でいえば、先生、教授、う~ん、何か違う・・・ 「盲人の中の最高位?」と、 現代人は思うでしょうが、 昔の日本は、障碍者こそ手に職をつけるべき、 という考えが徹底していて、 盲人の一流人をそう呼びました。 ちょっと脱線ですが、明治になって、 西洋の「福祉」の考え方が入って来てから、 日本の「福祉制度」はダメになった気がします (いいこともあります)。 江戸・明治時代初期に日本に来た外国人たちは、 障碍者(特に盲人)の多くが 職業を持って自立・自活していること、 街で普通に共存していることに、とても驚いたそうです。 ・・・話は戻って・・・ 八橋検校の死後、その業績を偲んで、 箏の形を模した堅焼き煎餅が配られたといわれ、 これが京の銘菓「八ツ橋」の始まりとのこと。 琴、すごいっ! 今すぐ琴を習おう! 八橋検校の功績は、やがて、生田検校に引き継がれ、 生田流(いくたりゅう)と呼ばれるようになります。 江戸時代中期、生田流だった山田検校が、 浄瑠璃を取り入れた新作を発表し、 山田流の元になりました。 宮城道雄は、生田流の人ですが、 「琴といえば、あの曲」ともいえる 「ツン・ツクツクツクツン」の、「春の海」を 作曲した人でもあります。 琴に関わる全ての人に、強い影響を与えています。 琴が好きなので、熱く語ってすみません。 受付で。 琴に関わりのある人というのは、 ピアノなどの洋楽器に比べたら、 ダントツに少ないことでしょう。 こちらの記念館も、いつ来てもガラガラ。 それなのに、今日はこんなにギュウギュウで、 スタッフさん張り切って下さり、映像室で、 道雄の人生についての特別なDVDを 見せて下さいましたm(_ _)m 散歩ネコは、以前、生田流でお琴を習っていましたが、 宮城道雄の生涯を全く知らず、 「いい曲~♪」などと、気軽に弾いておりました。 道雄よ、許しておくれ。 晩年の道雄が、作曲や随筆する時に使った部屋。 外から眺めることができます。 記念館を後にして、ランチ店へ! 立派な民家が続きます。 最高裁判所長官公邸 東日本大震災(2011年)により、 倒壊の危険ありとして、現在は解体中。 警備の方に、公邸とお聞きし、びっくり。 と~っても立派な日本家屋。 1928年(昭和3年)に富山県の北前船廻船問屋として 巨万の富を築いた馬場家の牛込邸として 吉田鉄郎の設計により建築。 1947年(昭和22年)から最高裁判所長官公邸として使用。 最初から公邸として建築されたわけではないのですね。 使用停止中の2014年(平成26年)、重要文化財に指定。 今後は、 現在の公邸は耐震補強を施して最高裁判所の迎賓施設とし、 同敷地内に新公邸を増築する予定だそうです。 逢坂 別名:美男坂 昔、武蔵守として都より赴任した小野美佐吉が 「さねかずら」という美女とここで出逢い恋に落ちた。 やがて帰還の命令を受けて別れることになりが、 彼は恋の想い募って病となり、死んでしまう。 ある夜、彼女の夢枕に立ち、この坂で再会を果たした、 という伝説があります。 古い街なんですね。 きゃ~! すごく長くて急な坂道! 皆さま、お気をつけ遊ばせ! 前方には、欧米系のお方。 この辺は、フランス系の方が沢山います。 アンスティチュ・フランセ学院(旧・東京日仏学院) フランス政府が管理・運営する文化センター。 1952年 旧東京日仏学院として創立。 2012年 フランス大使館文化部、横浜日仏学院、関西日仏学館、 九州日仏学館と統合。 現在の名称となりました。 フランス語を学ぶと同時に、 映画や講演会、展覧会などのイベントを通じて、 フランス語圏の多様な文化に触れることができます。 アラン・ドロンの昔の映画ポスターと ♡ この頃のドロン、絶頂期でしたね~。 「太陽がいっぱい」(1960年公開)は、素晴らしかった。 レストランへ向かう小道。 まるで森の中のよう。 神楽坂 「ラ・ブラスリー」 世の中には、沢山のフランス料理のお店がありますが、 こちらはフランス政府公認のフランス料理店! ここで食べずして、フレンチを語る資格なし! ちょっと大人数のグループなので、 私たちだけの特別メニューを作って下さいましたm(_ _)m メインやデザートの希望を取っているところ。 毎回盛り上がります(*^_^*) いただきま~す(^◇^)/ グループなので、メニューの指定がありましたが、 平日、予約なしで入店できたら、 千円から楽しめます。 フランス政府公認なのに、お手頃価格! お腹一杯で、散策スタート! 築土(つくど)神社 とにかく坂、坂。 坂の街。 そして、歴史の街。 こんなギリギリのところにも、神社があります。 外堀通り 春には、桜並木になります。 後ろ姿、いいわ~。 庚嶺坂(ゆれいざか) 江戸初期この坂あたりに多くの梅の木があったため、 二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられます。 別名「幽霊坂」とも言うので、言われは諸説あり。 こちらの方の、ワンピース(チュニック?)、可愛いな~。 東京理科大学の坂を歩きます。 とにかく、坂、坂・・・ 東京理科大学 近代科学資料館 「日本一の計算機コレクション」で有名。 その他、東京物理学校の貴重資料も。 「計算機の何が面白いの?」と思われるでしょうが、 これが実に面白い。 必要書類に記入すると、撮影許可を得ることができます。 大昔の、計算機。 ワラです。 現代の私たちは、9の次は、0になって繰り上がるとか、 2単位の2,4,6,8,10・・・とか、 5単位の5,10,15,20・・・とか、 子供の頃から、当たり前に数えますが、 古代の大昔は、そんな共通認識はありませんでした。 このワラの一本ずつで、 「今、何個目。」と数えるのに使ったらしいです。 0「ゼロ」がこの世に登場した最古の文書は、 西暦130年、ギリシャのプトレマイオスによるもの。 しかし、一般には広がらず。 その後、 628年、インドのブラーマグプタが 「空である」という意味で「0」を正式に用い、 やっと850年頃、現代の数字に近い0から9までの10個の記号を 使うようになりました。 ヨーロッパでは、ゼロは「悪魔の数字」として、 法律で使用禁止だった時代もありました。 ゼロがないのに、 計算し、建築し、経済活動をする・・・ 現代の私たちには、想像すらできません。 やっと電卓。 この頃から、現代になってきます。 オリベッティのタイプライター 憧れました~。 大人になったら欲しい物の一つでした。 頑張って、真っ白のタイプライター買いました(^-^)v 嬉しかったな~。 企画展 「日本の女性科学者」-道を拓いたマドンナたちの百年- 2017年6月27日(火)~8月9日(水) 全くお客がいない2階の会場に、 突然現れた着物軍団に怯えつつも、 親切に説明して下さるスタッフ。 東京理科大学の大学院生だそうです。 無知な質問にも丁寧に答えて下さり、ありがとうございました。 明治時代の入学試験 今見ても、難しいそうです。 散歩ネコたちには、チンプンカンプン(@_@) 充実の説明に感謝して、散策は更に続きます。 北原白秋と泉鏡花の居住跡 泉鏡花は、明治36年3月~明治39年7月まで、 北原白秋は、明治41年10月~翌年10月まで、 この地に住みました。 同居ではないのよ~。 神楽坂らしい階段 坂、坂、階段、階段・・・ 健康でないと、お出掛けはできません。 見番横丁 東京都神楽坂組合稽古場の前にあります。 笑顔って、いいわ~ ♡ 見番とは、芸者衆の手配や、稽古を行う場所のこと。 お座敷からお座敷へ行く休憩や時間調整のため、 芸者さんがここで三味線を練習している時には、 その音色が聞こえるそうです。 昨年のマダムランチ(浅草 2016年11月15日)で、 ランチ店に芸者さんを依頼した時、お店の人に、 「見番さんに聞いてみますから、ちょっとお待ちを」 と言われました。 現代でも生きている言葉です。 神楽坂 着物リサイクル「福屋」さん お店は2階にあります。階段のみ。 「もう疲れた~」と思う頃に、「あと一息!」のポスター。 それにしても、坂、坂、階段、階段を乗り越えてきた身には、 なかなかつらい・・・ 着物を暖簾にしているユニークなお店。 ちょっと狭いですが、掘り出し物も。 やっと休憩! 「神楽坂 茶寮 本店」 かき氷、美味しかった~。 生き返りました。 神楽坂仲通り 路地というより、飲み屋街に近い通り。 昼もいいですが、夜も良さそう。 神楽坂「まかないこすめ」 創業1899年(明治32年)の 吉鷹金箔本舗(石川県金沢市)が元。 2005年に、金箔製造業に幕を下ろし、 現在はまかないこすめがメイン。 「食べられる物で作った化粧品」がコンセプト。 安心ですね。 お試し可能なお品が沢山あります。 スタッフさんも親切。 神楽坂 「千(せん)」 お出掛け会で、6年前、神楽坂1回目に伺ったお店。 神楽坂らしい黒塀が印象的。 かくれんぼ横丁 塀が高く、曲がり角も多く、細い路地。 かくれんぼしているように、すぐに見失います。 神楽坂「ふくねこ堂」 和雑貨を中心としたネコグッズのお店。 狭~い路地の奥に、ひっそりと。 お店といっても、ごく普通の民家の、普通の玄関。 普通の民家の一階の、しかも一部だけがお店。 とても狭いですが、なんだか楽しくなります ♪ ふくねこ堂の店長は、2代目店長のルイ2世。 散歩ネコたちが、ザワザワと押し寄せたので、 ちょっとお冠 でも、背中が気にしてる 早稲田通りを、神楽坂上から神楽坂下へ向かって。 提灯が飾られています。 もうすぐ神楽坂祭り。 今年は、2017年7月26日(水)~29日(土)。 神楽坂「不二家」 ペコちゃん焼きが有名。 昔は全国の不二家で作られていたそうですが、 現在は、ここだけ! ペコちゃんは、右です。念のため。 次は金クラス。 同じ場所でも、メンバーが変われば、また内容も変わるのです。 お出掛けって、不思議。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.10.12 22:53:55
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